トップページ最新号紹介バックナンバー紹介オンラインショップ『風の旅人』について

『風の旅人』 vol.44

FIND the ROOT  此岸の際

 まほろば

最新号の内容紹介……もっと詳しく


2012年1月23日 (月)

宮城県牡鹿半島で感じた、新しい気配

 Dscf0302_3
 (写真/宮城県女川町)
 宮城県の石巻市から、牡鹿半島、女川一帯をめぐって戻って来た。
 瓦礫は撤去され、広大な真空地帯が、あちらこちらにできている。
 石巻市は範囲が広く、地域によって状況はまるで異なる。津波が直撃した海岸部は、造成地のように空っぽになっている。町の中は、一階部分が損傷した家々がひしめいている。その中間は、瓦礫が取り除かれた更地の広がりの中に、運良く津波の被害が少なかった家が点在しているが、住民は仮設住宅に移っているために廃墟となっており、よけいに寂寥感が感じられる。
 私を案内してくれた人は、仮設住宅に住みながら、毎日、介護の仕事に精を出しているのだが、建設業者が手一杯のために壊れたまま放置されている自分の家を見たくないので、あまり近寄りたくないと言っていた。仮設住宅の不便さはあるものの、とにかくそこで生活の基礎を整え、毎日、仕事に励むことで、前向きな気持を維持している。
 昨年の3月11日以来、私は今回で6回目の訪問だが、”気配”が明らかに変わってきている。
 少しずつではあるが、”未来”に眼差しを向けて、さてどうするかと考え、話し合い、準備を進めている人も増えている。
 以前の暮らしにも色々と問題があった。しかし、ある程度、安定してはいたので、思い切って変えようとは思わなかったし、できなかった。仮に自分が変えようと思っても、仲間や関係者たちと足並がそろわなかった。しかし、ゼロベースになった今だからこそ始められることがあるのだと、牡鹿半島の先っぽにある小さな漁村で出逢った人は言っていた。
 そうした動きに対して、既得権を持っている人たちが”抜け駆けは許さない”と牽制し、時には妨害することもあると聞き、どの分野においても、変化の時には、そうした攻防があるのだと改めて実感した。
 たとえば漁連などは、個々の漁師を統制し、時には支援するなどして、関係者全体の安定した状態を作り出すために生まれたシステムだ。決して、悪の権化ではない。しかし、そうしたシステムに大勢が従うことがあたり前になると、システムの中に権力者が生まれ、権力をめぐる戦いも起こる。
 権力を持った者は、全体の統制が守られてこその権力だから、それに反した動きは認めたくない。震災前の比較的安定した状態の時は、システムに所属している大勢の者が敢て村八分になることをしたくないので、システムを崩すことは困難だ。しかし、あれだけ大きな震災が起きてしまうと、システムに歪みができる。権力者は、もとの状態に戻るまで待つように言うが、そんな呑気なことは言ってられないと思う人達が、システムに頼らず、自分の頭と身体を使って動き始める。いったん始まった新たな動きは、どんどんと広がり、もはや後戻りはできない。旧権力者が悪あがきをすればするほど、その醜態があからさまになり、人心は離れ、求心力もなくなり、以前のような統制がきかなくなるのは自然のことだ。そのようにして、気配が変わってくる。
 未来は、新しい技術や新しいアイデアからではなく、新しい気配の延長線上にあると思う。
 人がどこを見ているかによって、その人の眼差しは変わり、眼差しが変われば、気配が変わる。
 技術やアイデアは、人の眼差しや、その眼差しがつくる気配に付随するものだ。
 
 このたび、震災後10ヶ月以上が経った宮城県の牡鹿半島の小さな漁村で、未来の感性につながってくるであろう話を聞くことができた。
 津波によって、大きな船を失った人、小さな船を失った人、網を失った人、それ以外の道具を失った人など、失った物は人によって様々で、残っている物も様々だ。小さな漁村で、一人ひとりが残っているものを持ち寄って、一歩を踏み出そうという気運があった。一人ひとりでは不完全だけど、お互いに無いものを補完し合うことで、事を起こすことができるのだと。
 20世紀という時代を振り返ると、一人ひとりが狭い枠組みのなかで完全状態を作らなければならないという脅迫観念に囚われていたように思う。自立とか個人主義という旗印のもと、核家族化が進むにつれ、冷蔵庫や洗濯機など様々な家電を、一家に一つ、そして一部屋に一つ持つことがあたり前になり、その流れのうえに消費経済の伸長があった。主に家電業界が大スポンサーだった大衆メディアは、そういうライフスタイルをもてはやし、その流れに乗らないと恥ずかしいという風潮をつくりだした。それは一種の洗脳であったと言ってもいいだろう。
 しかし、現在、若い世代を中心にシェアという価値観が広がりつつある。物を所有することを目的化して自分の世界に閉じこもるのではなく、物をシェアしながら人と交流し、触発され、人生に奥行きと幅を持つことを理想とする人たちが増えているのだ。
 これまでは、何もかも自分で、という強迫観念によって、早々と挫折し、けっきょく何もできないということがあった。
 その結果、他の誰かに依存しなければならないという状況もあった。
 もはや、自分で何もかもできなくてもいいし、何もかも持つ必要もなく、誰か他の人と補完し合えばいい。しかし、自分に欠けているものを誰かに補ってもらうかわりに、自分も何か別のことで誰かを補完できなければならない。そういう具体的な努力をしていかなければ、誰からも相手にされない。
 他の誰かを補完できる力。その力は、能力や運の差ではなく、心構えの差で決まってくる。
 自分を見つめ直すとすれば、自分に能力や運があるかどうかではなく、そうした心構えがあるかどうかだろう。
 補完し合う関係は、人間が相手とは限らない。自然や物が対象の場合も同じだ。日本の伝統的な智恵であり文化でもある”手入れ”という発想は、木々などの自然物や道具などの人工物と、人間が、互いに備わっているものを補完し合うという発想が根底にあると思う。

 今、私の頭のなかにある新しいWEB構想もまた、”補完し合う”という発想を大事にしたい。
 コンテンツにおいても、制作においても、コニュニケーションにおいても。
 そのコンテンツも、写真が中心ではあるが、写真だけのつもりはない。
 風の旅人が、写真を軸に、言葉と補完し合う関係で誌面をつくりあげたように、写真と、他の何かが補完し合うようにして一つの世界を作り上げたいと考えている。
 その軸が、「学び」と「根元」。それは、風の旅人が、創刊の時から掲げていた「FIND THE ROOT」と同じ意味を持つ。
 自分一人では不完全であると自覚しながら、それでも自分の中に備えているものを、自然や人とシェアしていく時、世界や人間は、自分を揺さぶったり、根元を掘り起こす存在として、自分に関係してくる。その感覚は、新鮮さと懐かしさが入り混じったものだ。
 古くもあり新しくもある未来。それは、自分から遠く離れたところからやってくるのではなく、常に自分の記憶の中に潜んでいて、表出の機会を求めている。

2012年1月13日 (金)

「島~Islandと、哀切と痛切

 本日1月13日(金)~15日(日)まで、パパ・タラフマラのファイナル公演の第二弾「島~Island」が始まる。
http://pappa-tara.com/fes/shima.html

 私は、明日の14日、18:00からの上映の後、30年間、パパ・タラフマラの舞台を創造してきた小池博史さんとアフタートークをすることになっている。
 演劇や舞台とあまり接点のない私が小池さんとトークすることになるのだが、そのことについては、時々、小池さんとお酒を飲みながら話をすることの延長線上で構わないとは言われている。しかし、お酒を飲まずに、しかも、「島~Island」の舞台を見た直後なのだから、そういうわけにはいかないかもしれない。
 数日前、小池さんから、「島~Island」を映画監督の小栗康平さんに是非とも見てもらいたいので連絡して欲しいと連絡があった。小栗監督には、パパ・タラフマラの解散や公演のことは伝えているが、日程の都合で、13日~15日の「島~Island」は無理だけど、1月27日~29日の「ship in a view」なら行くことは可能だと返事をもらっていた。そのことを小池さんに伝えたら、解散公演で行う4作のうち、「島」と「ship」は、きっと小栗さんの心に響く、なかでも「島」は、小栗さんの著作である『哀切と痛切』に通じる内容だから、無理を承知でお願いしてみると言う。
 小栗監督の『哀切と痛切』は、私も、とても大事にしている本であり、突然、この古い書物の名が小池さんの口から出たのには驚いた。私は、今から30年前にパリで「泥の河」を見た時から、小栗さんのファンで、なかなか制作されない新作をいつも楽しみに待ちながら、欠かさず見てきた。風の旅人の執筆者や写真家をはじめ友人にも小栗映画をことあるごとに薦めてきて、「泥の河」や、カンヌのグランプリを受賞した「死の棘」しか知らなかった人たちも、「眠る男」など他の作品を見ることで、小栗映画の大ファンになってしまった人も多い。
 海外で圧倒的な評価を受けている稀有なる日本人映画監督の作品でも知らない人が多いというのが、日本の文化表現が陥っている状況の悲惨さを示している。パパ・タラフマラもそうなのだが、いくら海外で高い評価を受けていても、日本のテレビを主とする大衆メディアで安易なキャッチフレーズとともに紹介しにくい作品は避けられる傾向にあること。映画の出演者がテレビコマーシャルに出ていれば映画制作にスポンサーがつきやすいなど、商売的な要素が多く絡んだものの方が世間に露出しやすいうことや、売名のために認知度が高いものを選んで評論を書きたがる自称文化人が多いという構造が、日本の表現世界を、薄っぺらいものにしている。
 それはともかく、1987年に発行された「哀切と痛切」という本は、言語表現は苦手だと言う小栗監督が、自らの繊細な心の内側を丁寧に綴ったものだが、この本を読んだ後に小栗映画を見ると、小栗映画の陰影のなかに、この本で書かれている小栗さんの心の機微がこめられていることが直に感じられて、小栗映画への愛しさがより増してくる。
 映画作品はそれじたいが自立して完成しているものであり、「哀切と痛切」は、映画のことを説明するテキストではない。この書物は、それ単独で作品であり、小栗さんの澄んだ孤独(というより孤高)が、しみじみと伝わってくる。そして、表現者である前に一人の人間である小栗さんの誠実さと向き合い、自分自身を省みることになるのだ。
 今、あらためてこの本を読み返すと、自分の潜在意識に深く影響を与えていることが実感できる。20代だった私は、小説家の日野啓三さんと小栗康平さんの作品に出逢い、同時に自分のなかで共通するものを感じ、そのことが自分の世界観や人生観の肉付けになっていったことがわかる。

「哀切と痛切」というタイトルになっている言葉じたいも、自分が物事を判断して行動する際の大事な鍵になっている、けれど、時おり忘れている。「哀切であることは誰でも撮れる。それが痛切であるかどうかだよ、オグリ。それだけを憶えておけ。あとはうんうん唸っていればなんとかなる。もの哀しいことと、身を切られるように痛いこと、私は肝に銘じた。」
 小栗さんが、弟子となって助監督をつとめた浦山桐郎さんの言葉だ。小栗さんが「泥の河」を撮る前に原作を持って相談に行った時、内容について何も答えずにこう言われたらしい。
 この言葉を読んだ時、私は心にグサリとささるものがあった筈だが、小栗さんのように肝に銘じるほどにはなっていない。
 でも、心のどこかで深く影響を受け続けている。そして、小栗さんや小栗さんが表現する映像や言葉を深く愛している。
 そして、数日前、小池博史さんが、「島~Island」と「哀切と痛切」は重なっていると突然言ったのだ。それを聞いただけで、またグサリと何かが心に突き刺さった。
 私は、パパ・タラフマラの作品はいろいろ見たが、「島~Island」はまだ見ていない。だからアフタートークをすることになっているのに、何の準備もできていない。
 ただ、パパ・タラフマラの解散にあたって行われる4つの舞台が、なぜこの構成になっているのか考えてみたりする。もしかしたら、「島~Island」と、次の「ship in a view」は、とても大事な意味合いを持っているのではないかと勘ぐったりもした。芸術家は、簡単に胸の内を明かさないが、ファイナル公演の第一弾の「三人姉妹」は、パフォーマーが三人だけの小さな作品であるものの、パパ・タラフマラのスピリットを象徴する作品だし、公演数も非常に多いので、当然だと思う。第4弾の「白雪姫」は、解散前の最後の作品だ。だから、この二つの選択はすんなりと理解できる。しかし、他の2作に関しては、色々な選択の仕方があるだろう。小池さんがパパタラを始めた時から目標にしていたガルシア・マルケスの「百年の孤独」とか。もちろん公演を行ううえで様々な制限もあり、作品の規模など配慮しなければならないことも多々ある。
 そういう分別は別にして、「島」と「shipは、もしかしたら、もっとも小池さん自身が投影された作品なのではないかと、「哀切と痛切」の話を聞いた後に、私は思うようになった。
 「ship」に関しては、以前に稽古を見にいった時、何の説明も受けずに舞台だけを見ていると、南の島のニカライナ伝説のような印象を持ったが、後で聞いてみると、小池さんの故郷の茨城県が舞台らしい。地理的な場所はどうでもよく、ニカライナのように彼岸と此岸のあいだを行き交っている感覚があることは間違いなく、そこに漂うノスタルジーは、現実という此岸の端から彼岸に向かう心情であり、さらに彼岸にわたってしまった後、此岸をふりかえる心情であるとも感じられる。狭い現実の向こう側に思いをはせる小池さんの少年時代、そして、大人になった小池さんがふりかえる自分の少年時代。誰でも自分が立っている現実が此岸であり、今、自分のなかにないものを思う時、そこが彼岸になる。その思いが過去に向くこともあるし、未来に向くこともある。そうした時、人は誰でも、心の船を必要としている。と書いた後、小学校5年生の頃、作文に将来なりたいものとして大型船の船長だと書いたことを思い出した。当時の私の家は明石海峡をのぞむ海辺の村で、毎朝、海峡を通り抜ける大型船の情報を新聞で仕入れて、その時間、窓からじっと目を凝らして、海の方を見ていた。その頃は、家庭環境が酷く、幼心に現実から逃げ出したい気持が宿っていたことは間違いない。
  そして、明日、パパタラ作品で初めて見る「島~Island」は、世間からはわけのわからないものとみなされる天使の物語が原作だ。
 小池さんは、高校時代までレスリングをやっていて、今でも腹筋や背筋やスクワットの身体トレーニングは毎日欠かさない人だ。そして、言葉にならないものの表現を目指しながら、言語による構築もやってのけ、様々なディスカッションの場でも血気盛んな発言をするので、とてもマッチョで攻撃的な人のようにも見られる。しかし、日頃、小池さんの傍にいるパフォーマー達がよく知っているように、小池さんの内面世界は、幾つになっても、あの少年の時のようにピュアで繊細なのだ。
 そして、小栗康平さんの「哀切と痛切」を読めば、同じような純真さと繊細さが深く根をおろしていることが伝わってくる。小栗さんは、テレビ局や広告代理店が仕掛ける話題性ばかりを浅ましく狙う映画作りに易易と与しない。世間に有象無象に存在する自称表現者のように売名行為の為に自分の魂を売るくらいなら死んだほうがマシだとさえ思っているだろう。小池さんもまた同じだ。
 「哀切と痛切」と、「島~Island」の共通性。見てみないとわからないが、「ship in a view]」にもつながっていると考えると、やはり、孤高の表現者の内面に宿る原風景なのではないかと思う。一流の表現者のなかにある原風景は、単なる後ろ向きな回想であるはずがない。
 彼らは、自分が立っている現実の枠組みを超えた世界を、他人からは妄想だと言われようが、強い思い入れを持って眺め、描き出そうとしている。それを求める思いは、世間でどう評価されようが、他人がどう言おうが、自分の内部に深く根ざしたものだから切実なのだ。そして、それを求めれば求めるほど、孤独に陥っていく自分を知り、一人の人間として安定の場所を求める心情も生じる。といって簡単に世相に迎合できず、自分が自分であることを確認できる自分の内側の原風景とも言うべきところに何度も立ち戻りながら、再び、現実に向き合い、それを超えていこうとするのではないか。
 そうした内的衝動を持つ小池さんは、桁外れのバイタリティと情熱で、これまでに100本作品くらい作ってきたらしいが、もしかしたら一番自分と近いところにある作品が、「島~Island」かもしれない。
 「哀切と痛切」のことを聞いて、そういう思いが突然、自分に降りてきた。
 実際はそうではないかもしれないが、ずいぶんと昔に小栗さんの「哀切と痛切」にグサリとした何かを突き立てられながら、まったく肝に銘じることのできていない自分に、「島~Island」の純真がどのように響くのか。楽しみであり、試されるような不安も覚える。


 
 
 
 

2012年1月 9日 (月)

日本の写真の力を、ウェブ空間を通して世界に発信していきたい。

 2年連続で高野山にこもって年越しをした。昨年の年始の高野山は、地元の人も驚くほどの大雪で壮絶なまでの美しさのなかに危うさが立ち込め、いてもたってもいられなくなり、高野山から下山してすぐに「空即是色」というテーマで風の旅人の第43号を作り始めた。
 作り始めてすぐにイスラム諸国に大きな波が立ち、その波が自然現象に転換して日本を襲った。日本に巨大津波が押し寄せた時、風の旅人の第43号「空即是色」はデザインを進行中だったが、その内容が、あまりにも津波とシンクロするものだったため、シンクロに慣れているはずの自分もショックを受けた。何しろ、すでに制作していた表紙も、津波を予感していたかのように、怪しくうごめく波の映像だった。
 3月中旬、津波と原発による打撃によって日本国中が重々しい雰囲気に包まれている時、途方に暮れるだけで無力感に苛まれていた自分に、石巻市から介護会社の社長が電話で取材を依頼してきた。その電話の後すぐに宮城に行き、生々しい現場を脳裏に刻みこむことになったが、この現実を人心を煽るニュースとして伝えるのではなく、一つの時代の終わりと始まりとして厳粛に捉えるべきだと自分を諭し、「空即是色」の第43号に続き、「まほろば」というテーマで、第44号を作った。そして、9年間続けてきた「風の旅人」を、この「まほろば」で一旦休刊とすることに決めた。
 昨年に比べて、2012年の年初めの高野山は穏やかな空気が満ちていた。原発の問題も含め、今年は、価値観の大きな分岐点になる可能性がある。東京都知事は、2011年の震災を天罰だと言ったが、人間が試されるのは、震災によってではなく、震災後のあり方を通してなのだ。
 その在り方の大事なポイントの一つが、自分の言動や表現に覚悟と責任を持つことなのだと思う。それを心がける人が増えるだけで、時代の空気は変わっていく。
 生きるということが、快適とか安楽を目標にすることであるかのように人々に思い込ませていたのは、戦後の消費経済の価値観だった。原発は、そうした価値観に基づいて作られた。今でもその価値観にどっぷり浸ったまま、定年後に快適で安楽な人生をエンジョイすることが豊かな人生を獲得した証明になると錯覚し、未来への責任と使命を忘れ、老年の生き生きライフなどというキャッチフレーズに踊らされて今という時間を自分の為にだけ消費している人も多い。
 そもそも、生きるということは、いずれ死ぬということを覚悟し、いつ何が自分の身に起こってもいいように準備し続けること。その準備には、自分の快適とか安楽を脅かすものへの備えという程度のことではなく、過去から連綿と受け継いできたことを自分で終わらせてしまうのではなく、次に伝えていくための役割を果たす使命と責任が含まれている。伝統文化の継承などの形式的な事だけではなく、人類が蓄積してきた生きる為の知恵の全体像の、たとえ一部かもしれないけれど自分の心身を通してリアルに知覚したものを次の世代へとリレーする役割を担うこと。もはや、経済活性化の為に老人の消費力に期待するなどと寝ぼけたことを言っているような段階ではない。消費の余裕があるのならば、未来社会への投資にまわした方が自分が死ぬ時に悔いが残らないだろう。未来社会を健全にする可能性のある産業に投資したり、若い才能に場を与えたり、娯楽や消費優先の価値観の中で掻き消えてしまいそうな上質な文化表現を金銭的に支援したり。
 
 楽しさとつらさ、喜びと悲しみは対立する関係ではなく、お互いに補完し合い、育み合うことで一体となっている。片方だけ都合よく増やすことなどできやしない。楽しいことを増大させると空しさも増大し、悲しみを遠ざければ喜びも遠くなる。そして、死が希薄になると生もまた希薄になる。「禍福は糾える縄のごとし。」幸福と不幸は、縄を縒り合わせたように裏表をなすものだ。
 震災後、連日のように震災地の凄惨な状況がテレビなどで伝えられていたが、実際に現地を訪れると、想像を絶する困難な状況のなか、美しい表情で生き生きと働いている人が大勢いた。同じ時期の東京の方が、人々の顔はどんよりと暗く鈍っていたように思う。
 津波で失ったものは多いが、損失と獲得もまた一体だ。何かを失う時、以前と同じものは得られないが、別の何かを得ている。そもそも万物流転の世で、以前と同じものはどこにもない。何かが消えても他の何かが生まれる。新しく生まれるものに対して敏感であること。それだけでも、世界の見え方は大きく変わってゆくだろうし、生きていく上での心構えや元気も違ってくるだろう。
 私は、「風の旅人」というビジュアル雑誌を9年間続けてきたが、写真が好きだからビジュアル雑誌を作ったわけではない。風の旅人は、単に写真だけを掲載していたのではなく、写真と言葉の力で、現代社会のなかでバイアスがかかってしまっている「世界の見方」を矯正したいと願っていた。
 一般的に”見る”ということに関して、人は、顔に目がついているから見えていると思っている。目というセンサーが映像情報を自然にキャッチして、それを脳に伝えるのだと。だから、自分が見ているものに対して何ら疑いを抱いていない。しかし、実際には、目は単なるレンズにすぎず、目が物を見ているわけではない。目というレンズから入ってきた映像信号を、生きていくうえで意味あるものか、そうでないかを整理して形作っていくのは脳(心)の働きである。すなわち、脳(心)が見たくないものは見えないし、脳(心)が見たいものを無意識であれ選別して見ることになる。
 こうした目の性質上、日常生活というのは、とても大きな意味を持ってくる。日常を生きていくうえで必要な意味と理由だけに慣らされてしまうと、世界をその基準でしか見なくなる。日常によって見えにくくなっているものも世界であり、自分の人生である。それを見抜けるかどうかによって、世界との関わり方が変わってくる。
 今この時代に求められる映像表現とは、慣れきってしまった日常感覚をなぞったものではなく、かといって、日常を忘れさせてくれるものでもなく、日常に慣らされた目では見えにくくなっているものも世界であり自分の人生だというリアリティを、見る者の脳内に新たな回路として生じさせてくれるものだと思う。
 
 人間に限らず、どんな生き物でも、よりよく生きようとして自分に「利」のある方向へと動く。人間もまた生物であるかぎり、「利」を求めることじたいを否定したところで仕方がない。人間は、古代から現代まで「利」を求めて生きてきた。しかし、何をもって「利」とするのかは常に変化している。現代の消費社会の枠組みの中の日常の「利」に慣れきってしまうと、それ以外の重要な事実を見逃しがちになる。
 
 新年を高野山で迎えた後、私は、和歌山市を訪れた。かつての商店街はシャッター街となり、採算が合わないために閉鎖された百貨店等の跡地が、ことごとくパチンコ屋になり、正月から大勢の老若男女で賑わっていた。昔のように人間の手で玉を一つ一つ打ち出すのではなく、自動機械が目にも止まらない速さで玉を打ち続けていた。そして、すぐにお金をすってしまう人もいるし、別の人の台は、玉がジャラジャラと溢れ出てきて、たちまち箱いっぱいになり、新たな箱の中に、さらに玉が積もっていった。
 パチンコ玉は、ものすごい速さで台の中を駆け巡り、館内には耳をつんざくような音楽が鳴り響き、活気に満ちているようにも見える。そして使ったお金以上のお金を得る人もいるみたいだ。しかし、長い目で見れば、パチンコ屋が損をしないように調整されている。そしてパチンコ屋は、次々と閉鎖したビルディングを安く買い叩き、さらに巨額の利益を得ていく。パチンコ屋に集う大勢の人々の全体は、パチンコという運動を続ければ続けるほど、利を失っていく構造なのだ。
 なんだか、戦後日本社会の「利」を求める運動の挙句の果てが、この光景に象徴されているように感じた。
 私は、20世紀の消費社会の運動を力強く後押ししたのは、映像の力だと思っている。
 現在社会には、映像が氾濫している。その多くが消費経済の「利」にそったものだ。それらの映像は、見る者の脳内回路にイメージを吹き込み、それを人生の意味や価値と結びつける働きをしてきた。すなわち、目で映像を見ているのではなく、目という装置が映像によってコントロールされて、消費経済の「利」を求める運動を生み出し、その運動が、右肩あがりの経済成長を前提とする社会秩序をつくりだしたのだ。
 現代人は、目は嘘をつかないと信じている。だから、映像を操ることで、現代人の心を操ることができる。例えば、50年前よりも凶悪犯罪が減っていても、毎日のようにテレビで凶悪犯罪のニュース映像を流すと、凶悪犯罪だらけの世の中であると刷り込まれてしまう。
 現在の課題は数多くあるけれど、その一つが、映像によって歪められた世界を修正していくことだと思う。そして、映像を修正するものは、映像の説得力しかないだろう。
 風の旅人の制作においても、そういう思いがあったが、これからは雑誌という枠組みを超えたところでやっていかなくてはならない。
 その一つとしてウェブ環境がある。ウェブという国境を軽々と超えていくことのできる新しい型によって、これからの時代の軸になっていくと思われる映像を紹介していく場を形成すること。
 風の旅人の第43号を見たフランスの国立図書館の人が、これ一冊を見ただけで、創刊号から全て買い上げてくれた。日本の写真家は凄いと言って。これまでもフランスで日本の写真作品は、日本の学芸員などによって紹介されてきた筈だ。”おたく”や”アニメ”も、日本のアートとしてよく紹介されている。しかし、風の旅人で紹介されている日本の写真は、それらのものと切り口が異なっているのだろうと思う。
 風の旅人で行ってきた事を、ウェブ空間を使って世界に発信していくこと。
 風の旅人の電子書籍を作るという単純なことではなく、風の旅人が選び抜いてきたような写真家や写真表現を、ウェブ空間の中で束にすることで力を増大させ、その力をもって世界に発信していくこと。
 雑誌作りはお金がとてもかかるので、採算性を考えたり流通の対策を講じる必要があったり、それはそれで勉強になったが、9年間とても大変だった。ウェブ空間では、最初から利益など追求せず、様々な人々の力を合わせながら、とにもかくにも未来への架け橋となるものを目指していきたい。
 風の旅人に掲載されているような写真に心惹かれる人で、かつウェブ上の技術や知恵をもっている人達とタッグを組んで、新しく始められればいいなあと思う。
 今現在、同じような問題意識を持ち、こうした内容のことを指向する人がいれば、ご連絡いただければ幸いです。 
 kazesaeki@gmail.com

 
 
 


 

 

 
 
 

2012年1月 5日 (木)

出逢いと献身の写真表現

 風の旅人26号で紹介した写真家の古賀絵里子さんの初写真集が刊行された。
 「浅草善哉」というタイトルだ。それに合わせて、写真展が広尾のエモンフォトギャラリーで開催される。(1月20日~2月20日)
 「浅草善哉」の写真は、古賀さんが2003年に出逢った浅草に住む高齢の夫婦のところへ約6年間通い、撮り続けたドキュメンタリー作品だ。
 古賀さんは、経歴も写真も、その人の一部でしかないと言う。どんなに素晴らしい一瞬を写真で切りとっても、そこに写っていないものは、たくさんあるのだと。 しかし、そうした謙虚な思いで接し続けるからこそ、一つの写真や文章のなかに、対象の一部ではなく全体像の予感が濃密にこめられることも事実だ。実際に、「浅草善哉」の中の写真や言葉には、ここに登場する老夫婦の晩年の生活から死の瞬間までの何とも言うに言われぬ命の機微を、浮かび上がらせる力がある。
 現在は、カメラさえあれば誰でもキレイな写真を撮ることができる。しかし、見る者の心のうちにしっかりと記憶されたり、何かしらの作用を及ぼし続ける写真は、めったにない。ほとんどの場合、それらの写真を見ている間だけ楽しいとか好きとかキレイとか面白いと言わせるだけで、見終わったら、それを見た時間でさえ自分の人生とほとんど関わりがないものになってしまう。
 写真に限らず、人は人生において様々な人間や出来事と関わりを持つことができるのだが、関わりを持ったつもりでいても、実際は表面的な現象に触れるだけで、自分のなかに深く刻まれるほどの出逢いになっていないことが多い。
 出逢いというのは、それが自分にとって何かしらの事件となる瞬間だ。テレビのニュースでは連日のように事件と称するものが報道されているが、それが他人ごとか自分ごとかによって、記憶への刻まれ方は異なってくる。
 物事を伝える際、刺激を強めようとして、人よりも大きな声を出したり、わざわざ衝撃的なシーンを選りすぐって編集する人がいる。テレビの報道が典型だが、視聴率を高めるために他よりも目立とうとして、単純化してわかりやすく大げさに伝えることが多くなるのだ。
 しかし、わかりやすく、衝撃性の強い情報発信は、その瞬間、見る人を驚かせることはできるかもしれないが、自分ごとの事件として心に深く刻まれ人生におけるかけがえのない体験となるものなのだろうか。
 好きとか嫌いとか、キレイとか汚いとか、良いとか悪いとか簡単に決めつけてしまえるようなものは、自分の中に固定化されている価値判断の範疇のものであり、自分の認識を変えるほどの”出逢い”とは言えない。
 そして、おそらく、そうした情報の伝達者じたいが、その出来事によって、自分の認識が変わるほどの関わり方をしていない。つまり、心から出逢っていない。だからこそ、安易に、乱暴に情報を単純化することができる。そして、ものごとに出逢っていない人が伝える情報によって、ものごとに出逢える筈がない。情報を伝えるものも、伝えられるものも、情報を次から次へと消費していくだけとなる。
 古賀さんが撮り続けた「浅草善哉」の写真を見ると、古賀さんが、この老夫婦と出逢い、二人の関係性に深く関わっていることが、まず伝わってくる。これは老夫婦二人の物語であり、同時に、その二人との出逢いが”事件”になっている古賀さんの心の物語である。だから、これらの写真を見る者は、古賀さんの”事件”を追体験し、その物語のなかに引きこまれながら老夫婦と出逢い、その出逢いが自分にとって一つの事件となる。
 ここにあるのは、社会派を自称する写真家などが好んで用いる「老々介護」とか「老人の孤立」といった陳腐なテーマ設定ではない。また、人々の同情を誘う単純な物哀しい物語でもない。哀切ではなく、痛切であり、だからこそ美しいのだ。
 人間というものは、どんなに完全に見えるような人であっても、一人だと何かが欠けてしまう。一人では不完全な人間は、相棒と出逢うことで、他に取り替えのきかない美しい関係性を作り出すことができて、その関係性じたいが、人間の最高の美質であるということを、古賀さんが出逢った老夫婦が伝えてくる。そこに顕現化する美や幸福は、相対的なものではなく絶対的なものだ。人と比べてどうのこうのといった比較問題ではない。
 古賀さんが撮り続けた老夫婦のあいだの、「愛情」などと簡単に言葉に置き換えられない関係。たとえば、使い込んでボロボロになっているけれど、その価値は自分にしかわからない大切な道具に対する愛おしさのようなもの。
 二人のあいだだけでなく、家の中の様々な物と物、物と人間のあいだに、そうした空気が充満している。そして、その微妙に愛しい空気が、写真に写っている。単に仲が良いという程度のことではなく、肉体の一部のような愛おしさによって、二人の老夫婦が存在し、その周りに、人と物、物と物、それらの全てと撮影者の関係が存在している。
 古賀さんは、まだ若い写真家だが、彼女の一番の持ち味は、他者と自己の間を遮蔽する壁を、一瞬にして無化してしまうことだと私は思う。
 近年、若い人で、「自己表現」と称して写真を撮っている人は多い。それらの写真を見て心を動かされることは、ほとんど無い。その理由は簡単だ。「自己」などというものの底はたかが知れていて、その浅い底から宝物だと思って取り出して他人に見せても、どこかで見たようなものばかりになってしまうのだ。同じものを持っている人が、「自分と同じ」だと共感してくれるかもしれないが、自分も持っているものだから、すぐに飽きてしまう。好意を持つことがあっても、新たな認識につながることはない。だから何となく物足りない気持ちが続く。
 他者と自己の間を遮断する壁を一瞬にして無化してしまう力。その力は、古賀さんの場合、出逢ったものに対する表現を通じた献身とでもいうべき撮影スタンスだと思う。彼女は、自分を表現するために写真を撮るのではなく、写真を撮ることで場を清めている。彼女によって清められた場のなかで、人や事物は、初めてそれじたいの姿を顕現するのだろうと思う。
 世の中には、事件と出逢った後、人を信用できなくなる類のものは無数にあるが、その逆のものはきわめて貴重だ。ニュース報道などで前者が溢れている現代社会において、表現を志すものがそれをコピーして増殖していく必要がどこにあるのか。
 表現を志すのならば、たとえパーセンテージは低くても、人間を信用できる可能性を、どこかに見出して欲しい。暗闇のなかの人間は、遠くに幽かな灯りが閃くだけでも、希望を持つことができる。
 「浅草善哉」の老夫婦は、快適で便利な暮らしの楽天的な希望の中に生きてはいないが、どんな境遇でも味わい深く生きることのできる人間のユニークさが、彼らを通して、救いとなって伝わってくる。条件が整わなければ成立しない手前勝手な希望や”より好み”よりも、条件を失っていくことで逆に確かな像となって浮かび上がる希望や”愛おしさ”の方が、自己都合的な現代社会では、より新鮮に、素敵に感じられる。

古賀絵里子ホームページ →http://kogaeriko.com/

20111220_2297534

http://www.amazon.co.jp/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%96%84%E5%93%89-%E5%8F%A4%E8%B3%80%E7%B5%B5%E9%87%8C%E5%AD%90/dp/4861523362

2011年12月17日 (土)

3.11以降の世界と、田口ランディと小池博史の「正直」

 一昨日、荻窪の六次元でパパタラフマラの小池博史と田口ランディのトークに少し参加させていただき、話を振られる直前、今の自分にとっても、とても大事な鍵が二人のトークの中に秘められていると思っていた。
 あの時、小池博史が一生懸命に語っていた、自分を取り巻く世界に対する挑戦的なスタンスは、私も含めて、3.11に至るまでの問題意識の強い人間のスタンスではないかと思った。それに対して、かつて自分もそこにいた筈の田口ランディは、今、人前で演じる自分を削ぎ落して、自分の中心の正直さと向き合う生き方に努めることを話した。「自分に正直である」という使い古された言葉は世の中に溢れているけれど、そう言いながら人の目を気にして演じている人は多い。そのように演じる自分があるかぎり、どこかに嘘がある。嘘があるのだから、それは本当の意味で正直ではない。
 そんな中途半端な正直さなら、表現という手段で自分を演じ、様々な敵をつくりながら言葉やアクションの刀を振り回している小池博史の方が、はるかに正直だ。敵を倒すために演じざるを得ない(フィクション)という心を突き詰め、かつ実践しているという意味において、まことに正直であり、見ていて気持ちがいい。その頑な面から時折こぼれ落ちる戸惑いの表情、「いろいろやっているのだけど、なんともしがたいものがある」という気持ちが素直に現れる時など、小池博史は本当に正直だなあと思う。
 それに対して、田口ランディは、生来の気質として演じすぎる自分というものを自覚したうえで、それを究極まで削ぎ落していく正直さの果てに表現の本質があるのではないかと、自分でそのような話をしながらどこかに演じる自分がいないか、言葉に嘘がないか確かめながら、不確かさな感覚に揺らぎながら言葉を発していた。信念を押し付けるのではなく、また聞き手を喜ばせようと思えば、それなりの演出テクニックはもっているけれど、できるだけそのテクニックに頼らないように、またサービスしすぎないように。
 そういう二人の話を聞きながら、私は、最近、長谷川等伯の絵を見た時に考えた宮本武蔵と新陰流の祖である上泉伊勢守信綱の違いのことをイメージしていた。
 等伯は、上泉伊勢守が生きた戦国真っ盛りの時代から、武蔵が生きた天下統一後の間を生きた画家であり、前半の作風と、傑作と言われている後半の松林図屏風で、がらりと作風が異なっている。
 時代としては前半の方が問題が山積みであった。国は乱れていたし、等伯は石川から京都にのぼり、狩野派が君臨する絵画業界に挑戦状を叩き付けるように戦っていた。その頃の等伯の絵は、なんとも潔く、力強い。その力強さは、物事を詰め込んで武装することによって得られているのではなく、その逆に現象を削ぎ落して宇宙の摂理に元づいた骨格だけが示されているにもかかわらず、それを見る者も、なんだか合点がいく潔さなのだ。
 同時代に生きた新陰流の伊勢守の剣術も、そういうところがある。戦国の世で死と背中合わせの状況において、100%負けない剣は、実は、他者と戦ったり上手にかわすためのトレーニングを積み重ねることで得られるものではなく、ひたすら自分の中心に向き合って自分の軸を定め、環境がどうであろうが、相手がどうであろうが、軸がいっさいぶれないようにするための一人稽古によって培われる。自分が未熟なうちに他者と組み合ったりして、かわすことや、隙を見て打ち込むことを覚えようとすると、手先ばかりに神経がいき、バランスを崩し、軸がぶれてしまう。そういう練習の積み重ねで100%負けない域に至る筈がなく、真の戦いがなくなった平和な江戸時代に生まれた剣道は、その類だ。真剣勝負の戦国時代においては、たった1%が命取りだと強く自覚したうえで、それを乗り越えるための術を自分のなかに作り出す必要がある。自分の軸を完全なものにしたうえで、垂直に、斜め45度に、剣をふりおろすこと。完全なるまっすぐに。言葉で書くと簡単に思えるが、どんな状況でも”まっすぐに”というのは、簡単にできるものではない。人というものは、意識しようがしまいが、外界の刺激を受けて、その影響で、自分のアウトプットが歪められるものだから。思いもかけない方向から突然声をかけられたら、ビクッとして、構えたり、引いたりして、身体の軸がぶれるのが普通だろう。アーティストと呼ばれる人たちも、自分を表現すると言いながら、世間の評判に一喜一憂する自分がいることを知っているし、それによって、”まっすぐさ”が歪められてることも多い。
 ”まっすぐ”というのは、外界の刺激がどうであれ、まったく動じない自分ができていないと、なかなかできないものなのだ。つまり相手がどこからどのようなタイミングで切ってこようが、その気配を察した瞬間、相手の動きに応じる必要はなく、ただまっすぐに垂直か斜め45度に剣をふりおろすことができれば、確実に、相手の手首を切り落とすことができる。相手の身体を切ろうと力んで踏み込むと、当然ながら先に手を出した方が優位。しかし、手首を切ると徹すれば、相手に先に手を出させた方がいい。じっと動かないと、次の動きが見えない。しかし、こちらを切ろうとして前方に動き出してくる手首は、その後、どういう動線を描くか、手を出した時に定まってしまう。その動線を読める者は、相手の剣が自分の胴体に届く前に、その手首を確実に切落とすことができる。手首を切られれば剣を持つことはできないから、死しかない。相手も一流なら、手首を切られる直前に察して身体を引く。そして、どう切り込んでも手首を切られると悟る。手を出さなければ手首は切られない。そうすると戦うことじたいを諦めざるを得ない。戦わずして制することができる。
 こんなに単純化して書くと叱られることはわかっている。生と死の究極の狭間で生きることは、もっと底深いものだ。ただ、剣術に限らず、本当に極限のなかで生きざるを得ない状況に陥ると、その状況に対して、どのように対応するか、あれこれ中途半端な手を打っても、一つの解決が別の問題と矛盾を生み出す堂々めぐりとなることは多い。現代社会の複雑な問題は、そのようにして生み出されている。原発推進と反対の対立もまた、そこに含まれる。一つの解決は、異なる問題を生むのだ。
 その事実を考えに考えたうえで、二者択一の軋轢から自由となり、自分の軸を定めて、まっすぐに剣を振り下ろせる自分であるためには、どうすればいいのか。
 小池博史を相手に田口ランディが「正直さ」について語っている時、私はそのようなことを思い、トークの途中で、突然、話をふられた時も、そのように答えざるを得なかった。もちろん、ことことに関しては急に思いついたわけではなく、これまで田口ランディや小池博史と接するたびに、そのあたりのことが気になっていて、今回のトークの場でも組み合わせは違うけれど、姿を変えてそれが現れているなあと感じていたことや、3.11以降、私自身、何度も宮城県に足を運びながら、うすうす感じていたことが伏線だった。
 そして、今回、田口ランディとの対比で、小池博史の話が、なんだか宮本武蔵だなあと思うようになった。
 武蔵は、関ヶ原の合戦の焼け野原から人生を始めた。最初に、荒涼たる無があった。しかし、その後は、多少の駆け引きはあったものの、本当の意味での真正面からの戦いが消えた。生と死の極限の狭間で生きざるを得ない時代ではなくなっていた。
 つまり武藏にとっての戦いや敵は、必然的に存在していたものではなく、自分で作り出していったものだったのだ。それは仮想敵だ。
 実は、戦後日本社会も、似たようなところがある。社会の中に、政府をはじめ、いろいろと戦う相手が存在しているかのように行動している人は大勢いるのだけど、戦っても戦っても、似たような敵が出てくる。なぜそうなるかというと、その戦っている相手は、実は自分自身の中から作り出されているものだからだ。特定の政治家や官僚が悪いのではなく、その政治家や官僚を作り上げているものは、この時代を生きる大勢の無意識と意識の集合体なのだ、きっと。
 そのことはこの場では脇において、武藏がそうであったように、仮想敵を作り出す人間にとって一番乗り越えなければいけない本当の敵は、自分自身。その意味で、武藏は正直であった。自分を振り返ることなく、自分もその一員として作り出している体制だけを攻撃する不正直者は、現代社会には多い。
 それはともかく、武藏は、自分の正直を確認していくかのように、人を切っていった。そして、切りながら考え続けた。その思考は、100%負けない剣という具体的事実に向かっていった伊勢守の思考とは違う。死とか肉体とかの具体的事実があり、それらの事実や事物との関係性を通じて、自分とは何か、世界とは何かという抽象的な概念へと陥っていく。長谷川等伯が、京都で狩野派との戦いを経てそれなりのポジションを獲得したものの、秀吉による天下統一の後の朝鮮出兵や息子の死に直面しながら描いた「松林屏風図」の、とめどない思考の積み重ねの広がりが一つの奥行きのある宇宙になっている画に通じるものを私は感じる。
 パパタラフマラの小池博史は、30年前にこのカンパニーを始めた時から、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を舞台化するという壮大な思いを描き続けていた。そのエネルギーと情熱と、保守的な演劇・舞踏業界を敵視しながら目標に向かって突き進んできたパワーは凄まじいものがある。小池博史は、人を動かすために相手以上のエネルギーが必要だと宣言し、マッチョな生き方を説くが、彼は単にエネルギッシュということだけでなく、それ以上に緻密さにおいて凄いのだ。彼の演出ノートを見た時、その精密さに驚くとともに、私は自分のアバウトさを恥じた。
 巨大な構築物全体を生きたものにするためには、部分に目を配り、それらを精密に組み上げ、かといって機械的に管理すればいいものではなく、有機的に、部分それじたいが自律的に動くようにしなければならない。その部分と全体の関係は、生物の細胞と器官とボディの関係だ。神の視点で、生物を作り上げるようにして舞台をつくっていく。その意味において、ガルシアマルケスの「百年の孤独」は、小説という手法で、それを実現している。部分と全体、今と過去と現在の関係、めくるめくつながりと急展開の連続それじたいが、生命の生きた脈動だ。
 宮本武藏が無数の戦いを経てつくりあげていった一つの巨大な抽象的世界は、「百年の孤独」の中の、幾つもの戦いによる混乱と静寂、滅亡と再生を繰り返しながら全体として表された巨大な抽象世界や、それらの有為転変が凝縮した戦国時代を生きながら長谷川等伯が辿り着いた松林図屏風、そして小池博史が30年を通して作り上げてきた100点を超える作品を総合した巨大な抽象世界と、どこかで通じ合っている。
 田口ランディが語り、伊勢守が目指した、どこまでも自分の中心におりていく「正直さ」とは異なり、自分を取り巻く世界を相手に、どこまでもあがき続けるという「正直さ」。
 一昨日の六次元でのトークは、その言葉の背後に、二人の人生と表現の過去と未来が重なりあい、その凝縮された今という一点であった。
 これは大げさな言い方なのではない。3.11以降の世界のことを真剣に考えている表現者にとって、当人が意識しようがしまいが、「正直さ」というテーマは、避けて通れない問題なのだ。
 トークの後、ふだん小池さんの傍にいるカンパニーの女性達が、”男性的”な視点の小池博史に対して、田口ランディの突っ込みが、”女性的”であり、二つの異質の混ざり合いがとても面白かったと語っていた。ふだん、固い鎧に隠れている小池博史のナイーブさが、田口ランディの異質によって垣間見えたということだろう。そして、それが小池博史の本当だと彼女達は言う。宮本武蔵の本当も、男性的な分析的視点だけでなく、女性的な読心術のような視点がないと見えてこないかもしれない。
 男と女という単純な形容だが、今という時代は、そのシンプルな捉え方がとても重要な局面であるかもしれない。今回の二人のトークが示していたものは、二人の間の問題ではなく、現在の世の中における、男性原理と女性原理の問題だとも言える。
 性的には女性でも、頭の中がすっかりと男性原理に支配されている人も多いし、その逆もある。自分のなかでバランスをとっている人もいる。小池博史も田口ランディも、その両方を持っていることは間違いなく、どの局面で、どちらが強く出るかということだけの違いだ。そのアウトプットの仕方は、状況によって変わる。戦国の時代と、関ヶ原の合戦後の時代。そして、3.11の震災前後でも違ってきて当然だろう。
 ただ、いずれにしろ、「正直さ」を徹底することは、並大抵のことではないということだけは確かだ。
 その並大抵ではないことを自分に課しているから者だからこそ、「正直さ」についてのトークに、重みと広がりが生じる。
 友人である田口ランディと小池博史の、それぞれ姿形は違うものの、正直なトークを傍で聞きながら、自分の宙ぶらりんさを、あらためて感じずにはおれない夜であった。
 とここまで書いて、昨年の年末から年始にかけて高野山にこもり、二者択一でない正直さについて悶々と考え続けたことを思い出した。
 http://twilog.org/kazesaeki/month-1101/5
 高野山からおりて空即是色というテーマで風の旅人の43号を制作している時に、3.11が起こり、44号の「まほろば」ができた時に、「風の旅人」を終えようと思った。いろいろな事情があるが、続けることと、自分の正直にズレが生じていたことが大きな理由だ。
 「正直」への問いは、めぐりめぐって、また自分のところにかえってくる。

2011年11月23日 (水)

自分に選択できることと、できないことの狭間で

 今から5年前に一人の歌手の女性をインタビューして、風の旅人の第22号で紹介した。ここ数日、定期購読の返金の手続きの為に連絡のない人達に電話 をしていたのだが、電話口で「娘がお世話になりました」と言われて、最初何のことかわからなかったが、あの時の歌手の母が、定期購読してくれていたのだった。それをきっかけに久しぶりに彼女のCDを聴くと、今の自分にぴったりで胸に染みてくる。そして改めて、その時のインタビュー記事を読んだのだが、 自分が書いた文章なのに、まるで自分に対して書いているように思われてきた。

 あの時も書いたことだが、たとえば故郷とか家族とか、自分が生まれた時から自分の中に深く根ざしているものがある。それらに対する思いは、好きか嫌いという以前に自分にとってどうにもならないものであって、それらを大事にできるかどうかは自分を大事にできるかどうかという感覚とつながっている。だから、自分の家族や国に対して受け入れ難い気持ちになる時は本当に辛いのだ。その辛さを持たずに国や家族を非難する人がいるとすれば、それは実態のない情報世界(名誉とか肩書きとか世間体も情報世界の一つ)にとらわれてしまい、感覚が麻痺してしまっている。
 家族や自分が生まれ育つ国は自分で選ぶことができない。それらは自分との境界が曖昧なもの。それに対して、物心ついた時から自分が探し、自分が選び取る世界というものがある。誰かに決められたことを行うだけではなく、自分で選択していくこと。人の人生の在り方は、その配分で様相が異なってくる。自分で選 択していく強い意志を持つ事は軋轢や葛藤も多い。しかし、それらの障壁に対して本気でぶつかっているうちに自分のスタイルができてくる。個性というのは、すぐに色あせてしまう小手先の差別化ではなく、その人の選択と、選択するがゆえに生じる軋轢を通して身に付けていく生き様のことだろうと思う。プ ロセス全体が、その人にふさわしい在り方となっているがゆえに、どんな断面を切り取っても、世間の標準化された枠組みに簡単に収まってしまうものが、こぼれ出ない。
 自分の中の譲れない部分を大事にする生き方は、軋轢や葛藤、困難が多いがゆえに、傷つきやすいけれど、その分、自分の力の及ばないところも知り、そこからくる恩恵とか助力に敏感になる。それらの恩恵は、自己の限界を痛切に知っているものにとって救いとなる。自己の器は小さいけれど、世界のあり とあらゆるものとの関係性の中から生じてくる恩恵は、今現在はどういうものかわからなくても、いずれ必ず邂逅できる可能性がある、と思えるからだ。しかし、それらと邂逅する為には、自分という場を整えていなければならない。整えていなければ、幽かな兆しを見逃してしまうだろうと心が鋭敏になる。
 自分の現実というのは、自己が描く設計図によってできてくるのではなく、自分が選択できるものと選択できないものの狭間に生じる無数の関係性に対する自分の所作で決まってくる。関係性は常に流動的で、展開が変わるたびに新たな軋轢が生じる。そうした時、結果はどうであれ最善の手を尽くせばいいと自分 が納得できる状態に自分という場を整えること。そのように整えられている自分の場から出てくるものこそが、その人の個性と言えるものだ。個性は、社会が押し 付けてくる型通りでないことは当然だが、かといって自己意識ばかりが過剰な、社会に対する反発姿勢だけからも生じない。なぜなら、自分ではあまり気づいていない が、自分の自己意識自体が、この時代の産物でもあるからだ。
 自己意識は、国や家族と同じように、選択の意志や好き嫌いとは関係なく、この時代に生きているかぎり、自分の中に宿ってしまう。
 国や家族や自己意識という選択不可能なものと、自分が探し、選び取って行くもののあいだを自分なりの方法で結びつけて、その行いじたいが人生の次の一手となるような在り方。その在り方が個性だ。
 どんなに過激な批判精神でも、人生の次の一手が、そこから全く感じられなければ、それは批判じたいが目的化されているだけであり、そのように画一的で 閉じた回路の積み重ねは、恩恵と邂逅するデリケートな機会すら見失わせ、有り難さにも鈍感となり、人生や世界の可能性を、どんどんと狭めていく。その苛立ちを、名誉欲(=達成感、到達感の獲得)などで昇華させようとする人もいるが、その種の煩悩は果てしない。
 人生や世界の可能性は事物との出会いによって劇的に変わってくる。その邂逅が、たった一つの歌や写真や言葉で起こることも多い。
 表現の本質は、そうした邂逅にある。つまりそれは、新たな可能性に通じる何かを世界に届けることであり、いにしえから偉大な表現者が届けてきたものは、そういうものだったのではないかと思う。
 と、こうしたことを書くと、「すぐにそれは何か? どうすればいいのか?」と即席の答えを欲する人が多くなっているのは、日本の教育制度やテレビのクイズ番組の影響なのか。
 おしなべて、知恵の処方箋とか、解りやすい答えというのは、頭の中の情報操作にすぎず、情報操作によって何かを作ろうとしている人は、けっきょく現在の情報過多社会の中で堂々巡りを繰り返すだけであって、そこから新たな可能性など出てくる筈がない。
 束の間の情報操作ではなく、プロセスの全体と付き合う根気なくして、しっかりとした芽も幹も枝も出てこない。ゆえに、ちょっとした環境変化でダメになってしまう。環境変化に対して弱くなって、除草剤や農薬などで対症療法することを繰り返す現代の農業と同じこと。
 私は、風の旅人を、除草剤や農薬などのような処方箋ではなく、堆肥にしたかった。44号までの一冊ずつを積み重ね、それらが腐っていく時間が必要だ。だから化学肥料のような即効性はない。
 いずれにしろ、近代の処方箋に毒された私達は、自分自身が近代的価値観に基づいて品種改良された種であるという自覚から始めるしかないのかもしれな い。この時代に生まれ育ったことは、選択できなかったこと。でも、品種改良された種だからと開き直って農薬と化学肥料という処方箋を求め続けるのか、時間をかけて土そのものを改良して豊かにしていく努力ができるのか。これから自分で選択できること、選択すべきことは、それに尽きるのだろう。

2011年11月21日 (月)

写真家の夢と現実  

 12月3日(土)18:30~20:00 東京都写真美術館で、ニューヨークで活躍中の写真家HASHIさんのワークショップに合わせて「写真家の夢と現実」という趣旨で講義を受け持ちます。
  大人2,000円 学生1,000円*風の旅人 43号進呈します。(43号をお持ちの方は、25号~42号で、別のご希望のものを進呈します。事前に、 kazesaeki@gmail.comにご連絡ください。詳しい内容、および申し込み方法は、こちらをご覧ください。

http://www.hashi-ipj.com/juku/syabiws_pdf/#top

 これまで私は、非常に数多くの写真家と一緒に仕事をしてきた。
 そして、超一流と言われる人達の仕事ぶりや、考え方などにも触れてきた。
 現代社会には、PHOTOGRAPHERという肩書を持つ人が無数にいる。
 カメラ技術が発達して、シャッターさえ押せば誰でもそれなりの写真が撮れるようになった現在、プロとアマチュアの差は、どこにあるのか?
 写真に携わる者がプロとしてやっていくこととは、いったいどういうことなのか。
  写真を撮っている人の中には、プロとして写真で食べていかなくても、趣味として割り切って、好きなことを表現すればいいという考えの人が大勢いる。誰でも 簡単に写真が撮れるようになった現在は、写真家のアイデンティティがよくわからなくなっているのだ。さらに、今後、電子書籍が広がり、アメリカで既にそう なっているが、出版社など関係なく自分で自分の電子写真集を作って発表し、サイトで販売することすらできるようになる。
 誰でも簡単に写真を撮れ るだけでなく、誰でも簡単に自分の写真を世界中に発信できるし、さらに、それを販売しようと思えば簡単にできるようになる。そうした状況のなか、これまで のように出版社がイニシアチブを握って価値基軸を定め、その価値を浸透させるという図式が崩れ始めている。
 写真家のアイデンティティが崩れるだけでなく、写真の価値基軸すら、わからなくなってきているのだ。
 そのように、ますます混沌とする状況のなかで、写真が持つ力や可能性とはいったい何なのかという原点を見つめ直すことが必要なのかもしれない。
 現在の写真を取り巻く状況はどういうものか、これからどうなっていくのか、激変していく状況のなかで、見つめ直すべきポイントは何なのかを、改めて考えていかなくてはならないような気がする。
 私は、現在のように写真が氾濫し、時に人間の視界を曇らせるような使われ方をされる状況においてなお、写真の力や可能性を信じている。
 写真にかぎらず、現在は、実態のない無数の情報が氾濫している。 しかし、素晴らしい写真には、事物そのものと出会わせる力がある。
  心象風景のような写真は、多くの人の共感を誘う。そして、それらは、「見失っていた自分との出会い」という言い方がされる時がある。しかし、この近代社会 の中には自分と同じような人間は無数にいて、その大勢の共感を得るものが人気者になるのだけれど、そういったものが、新しい事物と出会わせてくれるわけで はない。
 近代社会においては、似たような考え方や感じ方をする人間が群れて、群れることで安心する。でもそれは群れから取り残されることに対す る不安を常に感じ続けることと表裏一体だ。そんな不安定な感覚を現代的だと評価する詭弁家もいるが、私は、そういう堂々巡りから自分を抜け出させてくれる 決定的な事物との出会いが一つあればいい、とすら思う。
 ここ15年くらい、評論家や賞の審査員が、写真を評価する際に「なんでもないような写真 に見えるかもしれないが、そうではなく、実はとてもスゴイのだ」と、凡人にはわからないかもしれないが写真のことをわかっている自分にはその魅力はわかる のだという論法で評し、権威化された彼らの言葉に盲目的に追随し、真似をする者も多い。
 しかし、写真とは、究極、事物との出会いを伝える媒体で あって、その事物が見る者の認識にどう働きかけるか、その強度はどの程度のものか、記憶への刻まれ度はどの程度のものか、その記憶化された写真という事物 との出会いが人生にどう働きかけるかということ以外に、どれほど重要なことがあるのだろうかと思う。
 赤ちゃんの写真は誰が撮っても心を動かす。それは、赤ちゃんを撮る時に自分を投影しようとする人は、あまりいないからだ。赤ちゃんという”事物”との出会いだけがあるから新鮮なのであって、撮影者が自分を投影した赤ちゃんの写真なんか気持ち悪いだけ。
 写真の本質はそういうものだが、写真の表現者とは、誰が撮っても心を動かす赤ちゃんを撮る人ではなく、多くの人が見落としている事物との出会いの力を再認識させる人。
 「普通に見えるけどスゴイ」等という詭弁は必要なく、写真を見た人が、事物を通して新たな認識と出会えてこそ、すごい表現と言えるのだと思う。
 多くの人にとって都合のよいものは人気になるわけだが、現時点において都合のよいものと、未来につながる価値とは別のものだ。
 多くの人にとって都合がよく、どれだけもてはやされようとも、その写真が見る人にとって新たな事物となり、新たな認識を与え、視点を変えさせるほどのものでなければ、すぐに消費されて、やがて忘れ去られるだけだろう。
 写真で食べていくことは大変だが、もっと大変なのは、消費財のように都合よく消費されて消えてしまうのではなく、歴然とした事物として、後々まで残るような写真を撮ること。
  後の時代に残るから素晴らしいなどと単純化するつもりはないが、後々まで人間の記憶のなかに刻まれ、人間の意識に内側から作用し続ける力を持つことは素晴 らしい。なぜならそれは、生命の基本要素であるDNAと同じ力を「表現」が持っていることでもあるから。そして、そのことによって、表現そのものに対する 信頼も取り戻すことができる。  
 自分の好きなことを表現するといった程度の自己満足ニーズや、金銭主義の為に、現在、表現(アート)の価値や信頼は大きく歪められている。
 素晴らしい表現は、そのように地に落ちた表現活動に対する信頼を取り戻す力も持っている・・・と思う。



2011年10月24日 (月)

電子書籍がもたらす変化!?

 発売されたばかりの電子書籍端末を買って試してみた。最近、裸眼だと小さな字が読みづらいので、字の大きさを変えられる電子書籍端末は非常に便利だ。画面もソフトで、あまり目が疲れない。しかも端末がとても軽くて、複数の本を入れて持ち運びできる。新書とか文庫本は、紙よりも電子書籍端末の方がいいと思う。しかも、青空文庫やプロジェクト・グーテンベルク等の本を無料でダウンロードできる。英文でも、ワンタッチで辞書に飛んで意味を調べられるので、片手で全て処理できてしまう。

 私は、自分用と中学二年生の息子の誕生プレゼントとして買った。読書感想文用の夏休みの推薦図書は、もはや書店で文庫本を買う必要はないのではないか。

 電子書籍の文章の読みやすさに関しては、電子メールが登場した時に長文のメールが読みづらくて、いかに簡潔に短くメールを書くかといった啓蒙が行われたが、今ではどんな長文のメールでも苦にならないように慣れてしまえば何の問題もなくなるだろう。
 ただし、一つはっきりと言えることは、新書や文庫本と違って、風の旅人のようなグラビア重視の本は、電子書籍ではなく紙で表現してこそ、その魅力は伝えられるのだとあらためて確信した。今後の本の在り方は、紙か電子かという二者択一ではなく、電子書籍向きのものもあれば、紙向きのものもある。それだけのことだ。
 しかしながら、現在、日本の書店の棚の大半を占めているのは、新書やハウツーやビジネス書や漫画など、どこでも気楽に読める電子書籍向きのものが多い。とすれば、紙の本は今後も残るにしても、書店や日版やトーハン等の書籍流通会社が電子書籍によって大打撃を受けることは間違いない。
 日本の大手出版社は、電子出版社協会を作って、価格などを管理して紙の本との共存をはかりながら共同戦線で自分たちの主導権を守ろうとしている。http://t.co/qtQKhxpP
 既存の書店や書籍流通の代わりに新たに電子の流通を管理しようとしているだけのことであり、その発想は、リアル書店からデジタル出版になったところで同じままだ。大手出版社は、本が紙から電子書籍に変わっても、価格や流通や作家の管理を自分達が行えば、自分達の身は守れるという考えなのかもしれない。
 しかし、電子書籍による変化の本質は、紙か電子かという次元のことではなく、他の産業もそうであったように、”中抜き”なのだと思う。
 アマゾンなどインターネット書店が登場することで、書店や流通会社が中抜きされた。そして今後、電子書籍で中抜きされるのは、書店や流通会社以外に、既存の出版社であり、そのことが社会に流布する情報の状況を変える可能性もある。
 出版社というのは、いったいどういう存在なのかというと、印刷会社や大手出版社が作った書籍流通会社と一体化して、本を出すことを決定する機関だった。本を出したければ出版社に頼らなければならなかった。そして出版社は、各種の賞などを設定し、自分達が出版したい原稿をおびき寄せ、その作者を、自分達の媒体で露出させることで権威付けや売名を行った。昨日まで家で小説を書いていただけの人が、出版社の設定した賞を受賞し、出版社がインタビューしたり写真を撮ったりして、なんだかスターのように演出され、本の売り上げが企まれた。実際にその人の本を読んだ人は、ほとんどいないのに、新進作家として雑誌等で紹介される。そうした一連の出来事は出版界の自作自演であり、その乱発によって、今では誰がどういう賞をとってどういう本を出しているのかさっぱりわからないし、人々に記憶されるものもほとんどない。誰にも影響を与えることなく、新たなムーブメントの起点となることもなく、次から次へと消費されていくばかりだ。
 アマゾンが、今年の暮れまでに日本における電子書籍事業に参入と日経新聞が大きく報道していた。http://t.co/MnN3aq5G 
 書籍化の今後の展開は、日本の大手出版社の思惑と掛け離れたところにあると私は思う。 アメリカでアマゾンの電子書籍が急速に広がり、今年度、アマゾンでは電子書籍の販売が紙の出版物を上回るようになったのは、本を作りたい人が、出版社を通さずにアマゾンのシステムで電子書籍を作って発表して売れるようにしたからだ。http://t.co/gwzUSe7v
 そしてアマゾンには、新人発掘部門があり、それ以外にビジネスや小説など様々な専門部隊があり、出版社部門が育っている。
 プロが書くものとして値段をつけて世の中に送り出していくのなら、それに応じた様々な責任がある。作家個人だけでその責任を担うことは難しく、だからこそ編集者が存在していた。しかし、優れた編集者は、既存の出版社に縛られる理由はどこにもない。これまでは、編集者としての力量があろうがなかろうが大手出版社に所属しているというだけで作家との間に入って仕事をできた人がいたが、今後は、能力のある人が、アマゾンなどに引き抜かれていく可能性があると思う。引き抜かれるまでもなく、出版社が規模縮小し、リストラ等も行われるから、必然的に人材が流動化する。
 ただ、これまで大手出版社の看板で仕事をしていた人たちは、これからはそうはいかない。その人の実力が全てだ。
 また、アマゾンの電子書籍仕組みでは、これまで出版社が行ってきた類の“宣伝”は必要ない。これはと思う書物をサイトの目立つところに持ってくるとか、推奨メールで伝えていけばいいのだ。それを買うか買わないかは、レビューの内容等で判断されていくことになるのだろう。評価者の数ではなく、どういう視点で評価されているかという内実が、判断基準になっていくだろう。
 最近の電子書籍関連のニュースで興味深いのは、アマゾンの件以外に、フェイスブックが電子書籍関連の会社を買収したこと。http://t.co/ahpaY0T4 
 フェイスブックが電子書籍関連の会社を買収したのは、電子書籍事業を始める為ではなく、フェイスブックのユーザーの利便性の向上の為ということだから、フェイスブックのユーザーが、フェイスブックの中で簡単に電子書籍を作って売買もできるようになるということだろうか。また、フェイスブックの自分のページに自分の好きな本を集めて、こだわり書店だってできるのではないか。
 日本にも電子書籍を作ったり販売できるサイトが幾つかある。http://t.co/M2eKNSXM  これらは現在、小さな存在だが、いつかヤフーとか楽天とかが買収すると、一挙に楽天トラベルとかヤフーのオークションのように、世の中にとって当たり前の存在になってしまう可能性がある。
 つまり電子書籍化によって変わるのは、誰が本を発行する権限を持つか、そして「作家」であることを決めるのは誰か、ということだ。これまでは明らかに出版社が本の発行の権限を持ち、本の内容の価値を判断し、作家を認定する役割を果たしてきた。これからは、それらのことが電子書籍会社にとって代わられるわけではない。楽天トラベルで宿を予約する時に、特定の機関のお墨付きや、宣伝などをあまり判断材料にしなくなったのと同じで、レビューその他の情報を自分で集めて、読者が自分で判断しなければならなくなっていくのだろうと思う。
 ウィキペディアでもリナックスでもそうだったが、既成のシステムのなかで価値判断を行う権限を持っている人達は、そうした新しいシステムに対して、信頼性が今一つとか、レベルが下がる等と言うが、現在、巷に流布しているテレビ、新聞、雑誌、書物などの情報を眺め渡しても、その多くが、もはや真剣に向き合うにふさわしい情報媒体だと思えない。
 さらに出版社が持ち上げている学者や作家よりも優れた書き手や物事に精通している人が世間には隠れていることを私は知っている。風の旅人でも、原稿や写真をお願いしてきた。巷では、出版社が抱え込んでいる作家や評論家を、電子書籍会社に奪われるのかどうかといった議論がなされているが、現在の作家や評論家は、未来においては、無数に存在する書き手の氷山の一角でしかないだろう。
 また、現代社会のなかの書き手だけでなく、時代を超えて読み継がれている本物の作品が電子書籍のなかでは無料で読める。出版社が新刊を売りさばくために強調してきた「新しさ」とか「時代性」の空疎さが、それらの書物の普遍性の前に、明らかになることだろう。
 電子書籍とオンデマンド出版で、もはや、本は出そうと思えば誰でも出せる。出版社が偉かったのは、書籍流通や印刷会社を支配していて、全国の書店の棚に並べる力があったからだ。つまり、書店に並ぶことがデビューであり、それだけで他人から凄いと言われ、優越感が得られた。こうした書籍流通が絶対的な存在ではなく、電子書籍出版とかオンデマンド出版とかと並べられて相対化される。実際にアメリカでは電子書籍から生まれたベストセラー作家が誕生している。
 これまでも、「作家」とか「物書き」とか「文筆業」とか、名刺に刷り込んだ人とたくさん会ってきたが、これからさらに増えて、増えすぎてどうでもよくなってしまうことだろう。
 物事は足らない時は崇められるが、増えすぎると相対的に薄められ、どうでもよくなってしまう。そして、どうでもよいことが増えると、どうでもよくないものが浮かびあがる。自分に肉薄してくるものは、この世にそんなに存在しない。もしそういう出会いがあるのなら、それは逃してはいけない。電子書籍というのは、出版社の都合に応じた宣伝に惑わされることなく、どうでもよくないものと出会う為の回路が、出版社がコントロールするかつての出版流通システムよりも、広く開かれているのではないかと思う。
  新刊本が優先的に並ぶ町の本屋よりも、悪書良書も含めて、新旧問わず膨大な書物が存在する古書街の方が、思わぬ出会いが期待できるように。

2011年10月 7日 (金)

今という時代と、表現

3月11日、震災で日本中が大混乱に陥る直前、親しくしている一人の写真家から、「今、表現に携わる者が取り組むべきことは?」という問いがあり、以下のような返信をした。

その時に返信した内容については、その後、振り返ることはなかったが、今日、その写真家から手紙をもらい、もう一度あらためて読み直してみた。

3月11日が起ころうが起こるまいが、現代社会において表現者が取り組むべきことは変わらないと思うけれど、3月11日以降は、その時に考えたことが、より強度を増したように思う。

 

「今、本当に表現者がすべきこと。を考えるうえで、ならば“今”って、どういう時代なのかという問いを立てる必要があると思います。政治や経済のことなど、今に対して様々な定義があると思いますが、敢えて端的に言うならば、「都市化」および「都市的思考」ということになると思います。

都市というのは、大勢が共有する認識から大きく外れた事態が生じないように様々な約束事によって整えられている場所です。人間が約束事によって管理する都市世界に生きる私たちは、物事を、じっくりと見る習慣はありません。物事の姿形を目に写すことで確認し、安心するだけであり、安心することさえできれば、それ以上見なくても、とくに不自由はありません。人間の管理と、その管理をもとにした秩序に対して信頼があるからです。 

その信頼は、法に基づいており、秩序を揺るがす可能性のあるものを法によって排除しようとする動きも、そこにつながっています。

つまり都市世界では、人々の認識から大きく外れるものを、あらかじめ排除しようとする圧力が働く。その結果として、テレビ番組などにおいても、無難ではああるものの、どこか物足らないものが増える。テレビ局が悪いのではなく、都市化のニーズがそうさせるのでしょう。

現代社会を、別の言い方で捉えるならば、「強度なレッテル化」、かもしれません。人間は、多くの場合、レッテルを貼って物事を整理し、自分が納得しやすい状態にして吸収し、安心する傾向があります。また、他人や物事に対する時だけでなく、自分自身に対しても、肩書などを通じて「そういうものである」とレッテルを貼り、人生の進路における惑いを抑えようとすることもあります。

レッテルをはがしてしまうと、レッテルによって整理づけている人間関係や世界が混沌とし、自分がいったい何ものかもわからなくなる不安があります。この不安に耐えられず、安易にレッテルを貼って、わけのわからないものを拒否するという態度が、地球上に様々な対立を生みだしていると言えるのではないでしょうか。

都市化とかレッテル化によって、人間は自分に都合の良い環境を作って生きているわけですが、こうした都市化やレッテル化によって殺ぎ落とされるものがあるので、当然ながら、歪みも生じるでしょう。それは自然環境問題とか、社会的に大きな声でわかりやすく叫ばれることではなく、1人ひとりの生と死の問題に関わってくる問題だと思います。

人は、他者や環境世界については、レッテルによって、わかったつもりになってごまかすことはできても、自分の生と死に関しては、「そういうもの」とアバウトな認識でレッテル貼りをしてすませられないということを、心のなかで知っています。

そうした自分の中の不安から眼をそらそうとすればするほど、世の中のレッテルに依存していくようになる。それは何も、企業社会の役職にかぎらず、たとえば写真などの表現業界においても、そうしたレッテルを求める人が多くいます。そうした地位から遠い人でも、自分のやっていることを、例えば「日本の伝統的文化」とか、権威のある大義名分と結びつける場合も同じ。賞を欲したり、権威ある評論家に褒められることを欲したり、政治家も企業人も、表現者だと自称している人も、種類が違うだけで、似たようなところがあります。けっきょくは、レッテル依存、なのだと思います。

今という時代の表現者にとって本当に大事なことは、こうした虚無の時代を、あげつらうことではなく、レッテル化を許さない、新たな回路を指し示していくことだと思います。

レッテル化を許さないものは不可解でもあります。その不可解さを、都市化とレッテル化に拘泥している人は拒むわけですが、不可解は畏れの土壌であり、それを拒むのではなく、丁寧に付き合っていくことで始めて、畏れの感覚は、それを美しく思う感覚と同根であることがわかってくるのではないかと思います。

しかし、レッテル化を都合良しとする勢力(マスメディアなどは、レッテル化の頂点に立つことで既得権を確保しています)は、そうした流れに抵抗します。レッテル化が崩れ、それぞれが丁寧に物事を付き合うという状況になると、彼らのイニシアチブが崩れるのです。

レッテル化は、レッテルを作り配布する側が、常に価値観をつくりだしていく優位性を確保できるわけですから。

おそらく本当の表現者というものは、そうした状況に敢然と切り込んでいるのではないでしょうか。

人間が連綿とつないできた芸術表現は、畏れを美に昇華させ、人間の心を鷲掴みにし、不可解なものから逃げがちな人間を、不可解なものの中に引き込む力があります。時代を超えて人間の心を惹きつける芸術は、例外なく、どこか畏ろしいものを秘め、美しい。

畏ろしさは、人間の管理できないものがあることを歴然と知らしめることですが、そのことによって不安にさせるだけでなく、美しさの力によって、その不安を不安のまま受け入れ気持ちにさせることができる。 

「美は、必ずしも客観的ではない。美しさの奥行きをつくるのは、見るもの自身の魂の陰影である。」という言葉を、小説家の日野啓三さんは残しています。

レッテル化の社会のなかにおいては、美は、客観的にカテゴライズされています。

この時代、そのカテゴライズのなかで様々なアイデアを出す人は、消費社会に受け入れられやすく、知名度もあがるでしょうが、そうした行為は、カテゴライズ化をさらに推し進める力になるだけでしょう。

後の時代につながる表現者がやるべきことはそうではない、と思います。

美は、自分の外に客観的に存在しているものではなく、それを見る人の魂の陰影であることを、わからしめること。自分の眼でじっくりと見ることの喜びと、日頃、自分が自分の眼で丁寧に見ていないことの羞恥を少しは感じさせること。凄まじい力をもった表現は、時に、それに触れる者を自己嫌悪の奈落の底に突き落とすものもあるでしょう。そうして、不可解を不可解のまま受け入れ、悶々としながらも投げやりにならずに生きていく胆力を養っていく滋養になるようなものを作り続けていくこと。

表現者にとって一番大切で必要なことは、そういうことだと私は思います。佐伯剛」


2011年9月30日 (金)

風の旅人の休刊について

そろそろ『風の旅人』の第44号が書店に並び始めます。

 今回の号で、休刊とすることにしました。この44号は、自分でも区切りにふさわしい内容だと思います。どうぞお手にとって、ご確認いただきますよう、お願い致します。

 お陰様で、これまで9年という長きにわたり、『風の旅人』を制作してきました。

 途中、何度も沈没しそうになりましたが、かろうじて持ちこたえてきました。

 しかしながら、昨今の出版界を取り巻く状況の悪さに加え、3月11日の震災以降の経済情勢の悪化の影響もあり、このまま『風の旅人』を制作し続けることは、非常に困難となりました。

 そのため、このたびの第44号でいったん休刊させていただき、情勢を見極めながら今後の展開を考えていきたいと思います。

 偶然ではありますが、2001年9月11日の歴史的事件に衝撃を受けて翌年から創刊準備をはじめ、2011年3月11日の震災の年に、いったん幕を閉じるという結果となりました。

 この10年弱は、様々な事が起こりました。サブプライムローン問題など世間を混乱させた事件は、その現象じたいに本質的な意味があるのではなく、20世紀を支配してきた価値観のパラダイムシフトの初期段階の揺らぎの一つであり、価値観が転換する本当の揺らぎは、これからではないかという思いを強く持っています。

 今はまだ社会や出版界は混迷状態にあり、先行きが濁っていますが、いつまでも濁った状態が続くのではなく、必ずや視界が開けてくると信じています。

 新しい視点は既に芽を出しているのですが、これまでイニシアチブを握ってきた人達や組織が、従来のパラダイムが転換してしまうと自らのポジションも失う為、何とかそれを維持しようとしています。

 旧いヒエラルキーの中で力を持っている人達が、その力を維持し続けようとして、構造が軋んでいます。しかし、そうした足掻きも、長くは続かないでしょう。

 とりわけ、マスメディアや広告代理店を通じた情報伝達、大学を中心とした知識階級の形成などは、政治や経済などと見えにくいところでつながりながら、一種の権力として人々の意識や認識を左右する力をもってきましたが、これまでとまったく頃なる情報伝達や情報の共有の仕方が広がるにつれ、その影響力は低下せざるを得ないと思います。既にそうなってきてはいますが、そのことに無自覚の人が大勢いることも事実です。

 マスメディアなどが権威付けをした価値観を押しつけられ、それに盲目的に従うのではなく、ありとあらゆる権威的な装いをそぎ落として、自らの感覚と思考で判断していく状態へ。

 これまで風の旅人を制作するうえで、常に根底にあったのは、そういうことでした。


*放浪というのは、地理上の世界をあれこれ歩きまわることに限らず、既存の価値観に自分を追従させることができず、あれこれと足掻きながら彷徨い、自分のまなざしでモノゴトをみつめ、自分なりの世界との付き合い方を体得していくプロセスのことだと思う。私が制作する「風の旅人」は、旅行好きの人のためのガイドブックではなく、誌面を通じて、放浪と同じ体験を味わうことを目指している。


 思えば、今から9年前、白川静さんに毛筆で手紙を書いて、返事をいただいた時から、私が頭で構想しただけの「風の旅人」が、具体的な形となって動き始めました。

 企画書を読んだ白川さんに、「あんた、こんな大それたこと、実現するんか?」と問われ、「実現するように努力する」などと中途半端なことを言ってはダメだろうと咄嗟に判断し、「実現できないものを白川先生にお送りする筈がありません」と答えました。

 すると白川さんは、「そうか実現するんか、だったら、やるわ」と言ってくれました。

 創刊号には、白川静さんをはじめ、そうそうたるメンバーが企画書に名を連ねていましたが、最初に白川さんに了解をとった後だったので、他の人から、「白川さん、やると言っているのか」と問われ、すぐに「もちろんです」と答えることができ、白川さん効果で、次々と協力をいただけることになりました。

 作家の保坂和志さんは、歴史上、尊敬する人が三人いて、プラトンとハイデガーと白川静さんで、その白川静さんと同じ誌面に出ることは、とても光栄だと言ってくれました。

 思想家の前田英樹さんは、「風の旅人」に白川さんが書かれた文章を見て、「佐伯さん、これは白川さんの遺言だと思うよ」と言ってくれました。

 また、風の旅人の誌面では、日本に限らず、世界中の素晴らしい写真家の写真を紹介させていただきました。その全ての方が、写真の選択、ディレクション、ページネーション、組み合わせ方、レイアウトに関して、私の判断に任せてくれました。

 第13号で紹介したセバスチャン・サルガドのGENESISのシリーズは、フランスのパリマッチという雑誌で数ページほど紹介されましたが、大々的にページを割いて構成して紹介したのは、「風の旅人」が世界で初めてでした。

 写真だけでもなく、文章だけでもなく、また一方が他方に従属するのではなく、それぞれがそれぞれの潜在的な力を引き出して、全体として有機体のように部分と部分が関係し合いながら、自律的に働いていくこと。そうなることによって、読み手の心理状態や環境などによって、同じ誌面が別ものに生まれ変わっていく。結果的に、情報誌のように読み捨てられることがない存在になること。

 私が、編集を通して目指してきたものは、そういうものでした。

 そのように部分と部分が相互的に関係し合う場を作るためには、分業よりも、一人で編集をする必要もありました。昔ならば、とても不可能なことだけれど、現在は、情報機器の発達によって細々とした作業は省力化でき、編集は、本質的なことだけをしっかりとやればいい状況になっています。

 これから益々編集という仕事は、そのようになっていくでしょう。一人で編集をすると言っても、一人の世界に閉じこもるのではなく、写真家や作家や学者やデザイナーや、読者をはじめ様々な人達との対話を通して、世界を膨らませていくことが可能です。

 個々が細分化され、つながりが断ち切られていった20世紀とは異なり、全体として統合と調和を実現し、有機体のように自律的に一つのまとまりとして存在することが、21世紀の物事の在り方なのだと思います。

 風の旅人は、全部で44冊作りましたが、一冊の中でも、数冊ごとに束ねても、全ての号を寄せ集めても、一貫性を保ち、大きな波のように、その時々に結ばれる像は違うものの、根本的には同じである状態が実現できていればいいなあと思います。

 創刊号から第44号まで、「森羅万象と人間」、「世界と自然のあいだ」、「われらの時代」、「永遠の現在」、「彼岸と此岸」とテーマをつなげてきて、第44号は、新しく「此岸の際」というテーマに変えたばかりでしたが、ここで一区切りをつけることになり、本当に「際」になってしまったのだから、面白いものです。

 いずれにしろ、創刊の時に定めた全体を貫くテーマは、「FIND THE ROOT」。ルーツを探せ、ではなく、根元を求めよ という意味です。

 物事の表層にとらわれるのではなく、根元を見つめ続けること。根元を見定めることさえできれば、世の現象が移り変わろうとも、軸はぶれません。

 そうしたスタンスそ続けると、「何の為に役立つのか?」と目先の実用を気にする人からは敬遠されます。でも最初から、そのことは承知でした。

 実用とか快適とか癒しとか、世知辛いストレス社会と表層的に付き合うための処方箋ではなく、社会がどう変わろうとも動じない耐性のようなものを身につけること。そういうことの方が、より大切になるとの思いで「風の旅人」を作ってきましたから。

 社会は、まだまだ消費・快楽追求状態から抜け出せておらず、その状態を維持することで利益を受ける人達や組織が相変わらず力を握っているので、簡単には変わらないでしょうが、永遠に今の状態が続くこともあり得ないと思います。

 捨てられない雑誌として、数年後にふと見直して、何かを感じていただける可能性もあるでしょう。雑誌を作り続けることは途切れたとしても、44冊の「風の旅人」は、役割を終えてしまったわけではないと私は思っていて、だから、そんなに落胆もしていないのです。



最近の記事

RSS