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『風の旅人』 vol.39

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 この世の際 

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2010年1月25日 (月)

電子書籍の問題は、出版界だけの問題ではないだろうな

アマゾンのキンドルを始めとする電子書籍によって、出版のイニシアチブが、旧出版社から電子書籍側に移るのではなく、個人に移るようになるだろう。

現在、既に名の知られた書き手を、電子書籍と出版社のどちらの陣営が獲得するかという問題は、しばらくの間は重要な戦局になるかもしれないが、長い目で見れば、それは大したことではない。

根本的な変化は、新人の発掘という局面に生じるのではないか。

従来は、出版界が、一種の権威機関となって新人をジャッジする権限を持っていた。

出版界がOKを出してくれないかぎり世に出られないのだから、新人は出版界の方に目を向けていなければならなかった。

電子書籍を運営する側は、権威的な審査の必要性を感じないだろう。とりあえずサーバーに用意しとけばよく、それを必要とする人が、お好きなようにダウンロードするシステムであり、ならば、その守備範囲は広い方がいい。物事の可能性を、事前にあれこれ探るために、権威ある人に審査してもらっても、実際にそれが正しいとは限らない。うまくいかない時の在庫の心配をする必要がないのであれば、とりあえず、多種多様に用意だけしとけばいい。すると、そこから思わぬ掘り出し物が出てくる可能性もあるだろう。

そのようにして、従来の出版界で門前払いを食っている人達も、電子書籍に持っていけば、自分のコンテンツを発表できる場が与えられる可能性が高い。たとえ数百しか売れなくても、電子書籍側は別にかまわないのだ。

現在の書店は、安全パイを狙う出版界のフィルターのかかった、同じようなものばかりだ。それに対して、今後、電子書籍分野から、少数の人のニーズに応える多種多彩な本が次々と生まれる可能性があり、新刊本のロングテール状態となるような気がする。

電子書籍側は、プラットホームを提供するだけで、出版界の権威的審査を必要としないことがわかれば、自分の文章の書籍化を目指す個人も急増する。結果として、新人作家の発掘のイニシアチブを、出版界が失うことになる。

さらに、新聞や雑誌で、「書評」という形式で出版界や新聞が権威的お墨付きを与えるという構造も無化され、電子書籍サイトの中で、ランキング、電子書籍内の書評やレビュー、検索機能で、読者を導くシステムになっていくのだろう。

こうした構造変化は、「出版界」だけの問題ではない。あらゆる場において、コンテンツを提供する個人とコンテンツに触れる個人の間に入り、その流通の権限や影響力を持つことで特権的立場にあった者達が力を失っていき、そのことによって視界がどう変わってくるか、という問題なのだ。

電子書籍、USTREAMのネット中継などによって、様々なコンテンツを相対的に見られるようになると、オールドメディアが提供するコンテンツの内容や、その審査の基準が、いかに偏狭なものであるか、人々は具体的に気づくようになる。

これまで、テレビ、新聞、出版の資本関係が強固で、同じ基準のコンテンツだけが伝えられることによって、日本人の多くは、情報を相対的に見る機会を与えられず、そのことがオールドメディアの権威化にも役立ったし、その周辺に寄生する人達にも、有効だった。

これからは、個人で判断していかざるを得ない時代になっていく。しばらくの間、オールドメディアと、その寄生者は、個人の判断に伴う危険性や不安を扇動し、自分達の権威的立場を必死に守ろうとするだろうが、この流れは戻ることはない。

そして、同時に、個人は、個人で判断するための知恵を少しずつ身につけていく。

たとえば、メディア広告で商品を買う人は著しく減少し、価格ドットコムをはじめ、情報を様々な角度から相対化して眺める方法によって、吟味し、価値を判断するように。

オールドメディア側の人達は、ネット内には不正確な情報が多いと主張するが、オールドメディアや権威筋の情報が、正しいと言い切れないことは周知の事実。

かりに今日は正しくても、明日もそうだとは限らないのだ。

だから、いろいろな情報を眺めながら、絶対の確信と期待ではなく、ある程度の見当をつけて淡く緩く情報とつき合う作法を身につけ、そのうえで、自分の中の感覚を確認していくというバランス感覚を、少しずつ身につけていくことになる。

その感覚が当たり前になった時の仕事や生活のスタイル、そして生き方そのもの、さらには人々の暮らしを支える日本経済が、果たしてどういうものになっていくのか。

それは、これから突然現れるのではなく、既にどこかに始まっていて、まだ公に見えにくい状態なのだろう。

2010年1月21日 (木)

今、社会に起りつつあることについて、思うこと

 

 現在、写真集づくりのために、二つの印刷会社と話をしている。

 一つは、東京に拠点を置く、世間でよく知られた大企業。もう一つは、関西に拠点を置く、あまり知名度の無い企業。

 私が写真集づくりで考えていることは、高付加価値のものを少数だけ作り、金額はそれなりに高くなるが、物の価値がわかる人ならきっと欲しいと思うもの。

 現在、大手出版会社が作る写真集は、できるだけ大勢の人が買ってくれるように、標準的な大勢が好むような、犬や猫のペットをはじめとする無難なもの。しかも、標準的な大勢は、自分だけの強いこだわりで買うわけでもないから、安い価格でないと買ってくれない。だから、作りの粗末なものを低価格で売る。そうすると、ネットで氾濫しているような内容とさほど変わらなくなってしまうので、けっきょくは売れ残るという悪循環に陥っている。そうした流れに乗じたものを、出版界と切り離されたところで生きている私が、真似をする理由がない。

 それはともかく、印刷会社の有名大企業は、少数の高付加価値のものを作る機械を持っていないので、下請の外注に発注しなくてはならないと言う。無名の小さな企業は、「“高付加価値の少量生産”のお考えは、私たちの会社の方針と共通するところです。」と言いきり、そうした物作りの体制を実際に整え、職人の技術もしっかりとしていて、非常に高品質なものを作り出している。

 現在の日本経済は様々なところに歪みが生じていると言われているが、その原因の一つが、この二つの会社の例に現れていると思う。 

 戦後の日本経済は、一言で言うならば、「スケールメリット」を目指してきた。効率よく大量に作ることでコストを下げ、売値を下げ、効率の良い流通システムによって大量に販売するという戦略。その戦略を実現するためには、標準的な物を速く大量に作り出せる大型の機械を整えることが必要になる。そのうえで、消費者が、個々の細かなこだわりを気にせず、作り手側の意図に添った「ある一定の型にはまった物」を素敵だと思わせる洗脳も必要になり、大量のコマーシャルや、メディアと一体化した「流行づくり」の仕掛けが行われた。

 その仕掛けのために、日本のメディア環境は、きわめて都合の良いシステムになっていた。日本は、新聞、テレビ等の各メディア媒体間における資本関係と連携が認められているhttp://www.findstar.co.jp/news/syosai.php?s=200677 という、世界のメディア環境のなかで特殊な国であり、新聞・テレビ間に相互監視機能が働くことなく、強力な結びつきによって、思うように世論を誘導することができたのだ。

さらにそこに“官”が支配する教育行政がくわわる。

 よく知られているように、日本の教育は、“官”が決めたことに添って行われることが当たり前になっている。アメリカならば、分厚い教科書のなかから先生が自分の判断で授業を行い、授業を行わない部分もたくさん残るが、日本では、教科書通り教育しなければならない。「先生が教えていること以外に、自分でやらなければならないことは色々あるようだ」と思う感覚と、「教科書どおりやればいい」と思う感覚とでは、世界に対する心構えがまったく異なってくる。

鶏が先か卵か先かわからないが、日本人の「右へならへ」の体質は、こうしたメディアや官による思考操作の影響があったことは間違いない。

いずれにしろ、一人ひとり、一つひとつの細かな違いは気にせず、「多くの人がそちらの方に歩いていくなら、自分もそちらに歩いていく」という体質づくりを徹底することで、効率の良い生産・流通・販売システムが、きわめて有効に機能した。アメリカで失敗したコンビニが日本で大成功したことも、それと関係あると思う。

さらに、もともと日本には優秀な技術力を持つ“個”がたくさん存在したのだが、戦後社会では、個々の技術よりもスケールメリットの方が上に立ったので、強大な大衆向けのPR・流通・販売力を持ったものが優位を占め、個々の技術は、その下請けにならざるを得なかった。 

そしていったん主従関係ができて、その中で仕事をするようになると、流通と販売を持っていないものは、それを持っているものに依存せざるを得なくなり、それを持っているものの力は、ますます強化される。

こういう例は至るところにある。メーカと部品会社、テレビ局や出版社とプロダクション、農協と生産者・・・。

 かつては、現在ほど流通網や情報網が発達していなかった。個々の生産者が車や通信設備を持つことが簡単でなかった時代は、それらを取りまとめる存在に依存せざるを得なかった。また、一般商店からコンビニに業態を変えた人達のように、日本人の圧倒的多数が宣伝に安易につられ、個々の価値に目を向けなくなると、固有の地道な努力を重ねることを放棄し、巨額のロイヤルティーを払ってでも、有名メーカの知名度や宣伝力に頼らざるを得なかった。  

 流通網や情報網がさほど発達していなかった時代、また国民全体に均質的な価値観を浸透させていた時代は、その主導権を握ったものの下につかざるを得なかったし、それによって、いくばくかの恩恵を受けることもあった。だからこそ、そうした主従関係が日本中に張り巡らされたのだ。

 結果として、日本には、大量に同じものをつくり、流通させ、販売するうえでは、非常に効率の良いシステムが完璧すぎるほど整えられた。

 しかし、ここ数年のあいだに、急速にほころびが生じ始めた。完璧であったがゆえに、

異なる流れが生じ出すと、旧来のシステムにとって、大きな支障となるのだ。

 その理由を、一つあげるとすれば、“均質化への疑い”が、少しずつ広まってきたこと。

 「隣人がテレビを買ったから、自分も買いたい」という時代は、とっくの昔に過ぎた。

 小学校で、「テレビゲームを持っていないと友達ができない、だから買う」という雰囲気のなかで、急速にテレビゲームが普及したけれど、その愚かさに気づく親も、少しずつ増えていくだろう。

 教育に関しては、あまりよくないことだけれども、子供が塾に通うことが当たり前になって、「学校で教えられることが全て」などと誰も思わなくなってしまった。

 もちろん、相変わらず¥家電量販店には人が群れており、誰も規格品を買わなくなったわけではないし、いくらインターネット化が進んだとはいえ、相変わらず、テレビ主体の生活をしている人もいるし、新聞を読んでいる人もいる。

 しかし、かつてのように国民の大半が力道山のテレビ中継の前に群がるような時代ではない。大メーカは、ある一定の規模以上の数量を前提にした効率化システムを発達させてきたので、数量が減ってしまうと、そのシステムは非常に非効率なものになってしまう。

 旅行業なども、かつては駅前店舗を作り続けるという売上拡大路線を走る経営が主体だった。一つひとつの店舗で、運営コストより僅かでも収入が上回りさえすれば、たとえ利益率は低くても、店舗の数を増やすことで全体の利益額を大きくすることができたのだ。

 しかし、この方法だと、一つひとつの運営のための支出が僅かでも収入を上回るようなると、全体の赤字額も非常に大きくなってしまう。インターネットに少しでも顧客を奪われると、それに代わる収益を見つけ出さないと、もともと利益率が低いゆえに苦境に陥る。

JTBが、全国の200店舗を閉鎖することを決めたのは必然の流れだ。

 冒頭に述べた大手印刷会社も、ある一定の部数以上を前提とした機械ばかり備えているため、体質として、個々の異なるニーズに対応しずらくなっている。

 テレビや新聞の広告にしても、その効果がゼロになるわけでもない。しかし、かつてのような効果が得られなくなった瞬間、かつてと同じように高額な金額を支払う意味はなくなる。我が社の旅行部門の場合も、18年前は、大手新聞の夕刊で全面広告を出せば300人くらいの反応はあり、コンピューターで対費用効果を精密に分析し、広告はメリットがあると判断していた。しかし、8年ほど前から、広告一回における反応は30人ほどに減ってしまった。新聞社は、彼らが要求する広告代を前提に体制を作り上げているから、簡単に広告費を値下げすることはできない。だから話し合いは決裂せざるを得ず、年間に20回ほどの全面広告を2回に減らし、その間に他の集客方法の確立を目指し、新聞広告を不要とする体質に切り替えていった。そして、いったん新聞に代わる新たな別のシステムをしっかり整え、それでやっていけると判断した瞬間、もはや従来のシステムとは完全に縁がなくなってしまう。

ある程度、従来のシステムで効果が得られる間は、縁を切ることは難しいが、もはやどうしようもなく行き詰ってしまうと、他の方法を必死に探し求め、探し求めることで、新たな方法を見つけ出すことができる。世界は、そのようにできている。

つまり、従来の既得権勢力が少しずつ力を失っていく傾向にある場合、頭を切り替えて対応方法を変えておかないと、ある瞬間、その力が一挙にゼロになってしまう可能性があるのだ。

 製造の下請けを行っていた技術集団にも、そうした動きが少しずつ広がっている。流通と販売を大手に任せていても、大手の販売不振の責任を押し付けられ、若い未熟な社員に、偉そうな態度でコスト削減ばかり迫られる。これまでは“お得意様”ということで従順になっていたが、そうしたことが限界に来た瞬間、大手に依存することが馬鹿らしくなる。

 今までは作ることに専念していた人達が、自分達で営業も始める。すると大手メーカの管理組織のなかにいた人間達よりも、自分たちの方が、技術も知恵もあることに気づき、顧客のニーズに柔軟に対応できることもわかる。そのようにして、かつての下請け会社が、総合プロデューサー的な存在となって、少量の高付加価値のものを一つずつ作り出していく動きが、少しずつ広がっていく。

 現在は、過渡期だ。流通その他の多くの仕組みが、従来の価値判断やシステムに完全に対応するために完璧に整えられたものであるがゆえに、微弱な変化でも様々な部分で歪みが生じる。しかし、今後さらに従来の価値判断やシステムが衰退し、新たに生じつつある動きが活発していくと、その動きに対応する流通や販売の方法も確立されていくだろうし、既にその兆しもあちらこちらで見られる。

 既存の流通を介さず、生産者が、野菜や魚を、直接、消費者に販売する方法が、様々な所に生まれつつあり、http://www.marche-japon.org/ 、生産者も消費者もハッピーを感じるという構造が少しずつ整いつつある。

 現在、テレビで坂本龍馬が人気みたいだが、あの時代の、下級武士と上級武士のあいだの軋轢と立場の逆転は、今日においては、メディアが大きく報じている政治VS官僚という単純な図式ではない。

 日本の戦後社会を陰で支えてきた、ありとあらゆる部門での“下請け”と、その神輿の上で胡坐をかき、数量や知名度という力を高めることで傲慢な力を行使できた勢力との関係だと私は思う。

 そして、この立場逆転が進んでいくと、有名大企業に就職するための進学競争という構図も少しずつ崩れていくのではないかと思う。

 有名大企業に就職したところで将来にわたって安泰ではないという雰囲気が少しずつ広まり、実力がなくても有名大企業の権威があれば楽に仕事ができる、という状況もなくなりつつある。

 下請けであれ大手であれ、今後、経済の業態がどう変容するか読めず、いつリストラされるかわからない状況になってくれば、いつまでも肩書を頼りにするわけにはいかない。自分個人の固有の力をどう高めていくかが大事になるが、その力も、“資格ブーム”のように、従来のシステムの中で有効だった“力”ではないだろう。その力が、いったいどういうものかを見つけ出すことも含めて、一人ひとりの探索の旅が、必要になるのだろうと思う。

2010年1月15日 (金)

作品募集!! テーマ/日本の地方・・その土地の体感と視点(仮)


 

「風の旅人」は、第39号(2/1発行)で一つの区切りとして、第40号から少し変えようと思う。一挙に全面改定するのではなく、まずは半分くらいを刷新するという感じで。

具体的に、今、私の中にあるテーマは、

 

1.地方

2.旅      

3.身体性

 

物事を簡単に言い切ることはできませんが、敢えて言うならば、20世紀と21世紀の価値観で一番違ってくることは、20世紀が、『価値観を与えられる』時代であったのに対し、21世紀は、一人ひとりが自らの関係性と身体感覚を総動員しながら、『それぞれ、価値観を整えていく』時代になっていくのではないかと私は思う。

20世紀の価値観の伝達の主力は大手メディアであり、そこから発信される一方向の情報伝達によって、一人ひとりの身体感覚と切り離されたところで大勢が導かれ、その構造の上に規格品の大量生産型の消費経済と、広告社会が成り立っていた。

 しかし、もはやメディア広告に盲目的に従う人は皆無になりつつあり、自分自身のアンテナが次第に大事になってきており、それを持たずに大きな流れに追従していると、“痛い目”に合うことも多い。

 現在でもユニクロなど単一商品の大量販売で躍進している企業が目立っているので、20世紀的な均質構造は依然として根強いようにも見えるが、次第に少なくなりつつある“情報に対して受け身の人達”の選択肢が限られ、一か所に集中しつつあると言った方がよいだろう。もしくは、日常生活において、情報に受け身でも何ら問題のない領域(自分のこだわりを持つ必要がなく、安くて便利なら何でもいいという領域)に関しては、とりあえずそれで済ませればいい、ということになっているのではないかと思う。

 現在の経済構造が直面する問題は、大勢が求める物の領域はコスト競争が激しく、量的優位に立つ者が仕入力や知名度などにおいて他を圧倒し、一人勝ちになっていくこと。そして、少数のこだわりの領域は、規格品の大量生産型の物よりも高額になるのだけれど、高額になることの納得感が、まだ一般には完全に浸透していないところにある。これは、貧しくて自由になるお金が少ないという理由もあるが、それだけではない。質の高いものを一つ手に入れれば長い間満足感が得られるのに、中途半端なものを二つ、三つ買ってしまうという、消費経済の仕掛け人達に植え付けられた思考特性や行動特性にも原因がある。

 いずれにしろ、今は価値観の過渡期である。価値観の軸足が、大量規格品から個別の固有のものに少しずつ移るにつれ、大量規格品と相性の良かったメディアが少しずつ衰退し、その影響力が減退することで、今後ますます軸足の移動が加速されることは間違いないと思う。

 こうした変化は、「受け身で押しつけられる情報」から、「能動的に獲得する情報」という意識構造の変化に結びつくので、自分自身のアンテナが大事になってくる。

そして、自分自身のアンテナは、自分自身の能動的な行動のうえに磨かれていくわけで、そうした行動が、今後、増えざるを得ないと思う。具体的に言うと、CDにはお金は出さないけれど、CDよりも高額なライブには行き、そのお金は惜しくないという具合に。

都市と地方ということでいえば、20世紀的な『情報受け身型社会』においては、情報がたくさん集まっている都市が優位だった。しかし、自らのアンテナで動いていく時代になっていけば、どこを拠点にするかは関係なくなっていく気がするし、むしろ地方の方が、自らの身体性を通じて、新たな視点を獲得するチャンスが多くあるかもしれない。

もはや誰でも簡単に海外旅行ができ、その気になりさえすれば、どこにいても、世界中の情報が手に入る時代になった。自分が所属している組織や、自分が住んでいる土地などによるハンディや優位性は、次第に無化されつつある。

記者クラブなど、特権に守られることではじめて自らの優位性を保てるような人間は、前の時代の化石にすぎないことが、次第に明らかになっていくだろう。

 そうした新しい風向きに、「風の旅人」は応じるものでありたい。

 

現在、今後の企画の一例として、「その土地の体感と視点」を、誌面で織りなしていくことを考えている。

北海道、北陸、近畿、四国、九州、どこでもいいけれど、その土地に深く関係することで見えてくる、その土地ならではの魅力を、その土地の視点や体感を通して紹介したいのだ。

一人、2ページ。文章にして2千字から3千字。これはと思う写真を、1、2点。まずはメールで編集部までお送りいただく。それらを検討させていただき、編集し、日本各地の写真や文章を数人分まとめて20~30ページを構成したいと思う。もし掲載が決まれば、一人2万円(税込)+掲載誌10冊 をお支払い致します。

ご応募いただいた方のなかで、極めて印象的なものは、上記の範疇の紹介にとどめず、別途、特集もありえます。

また、ご応募いおただいたコンテンツが充実してくれば、それらの写真だけで写真展を開くことも可能かもしれません。  

プロと称するライターはカメラマンが、通りすがりの「地方」の表面をなぞっても豊かなものになる筈がなく、たとえ肩書的には素人であっても、その土地の歴史文化や自然や魅力を深く知り尽くしている人が多いことを、私は、経験を通して感じている。

また、こういう企画を通して、それらの人達とつながっていくことの方が、業界人との付き合いよりも、触発されることも多い。今という時代は、まさにそういう時代なのだ。

 

送り先は、電子メール→saeki@eurasia.co.jp 風の旅人 編集長 佐伯剛 まで。

プリントをお送りいただくのではなく、ご希望の方は、まずは、メールで写真と文章をお送りいただければと思います。

第一回目の締め切りは、2/10まで。

 

 

2010年1月14日 (木)

これから

 

「風の旅人」は、次号(2/1発行)の第39号で7年。その次から8年目に入る。

  少し前までは、7年のキリの良いところで辞めるつもりだった。もはや雑誌の時代ではないという気分もあるし、経済不振でスポンサーの獲得も難しくなっているから。

 また、もともと私は出版業界の人間ではなく、旅行業が本業だったので、雑誌という抽象的な場を通じて社会と接点を持つだけでなく、リアルな現場で仕事を成就させていく方法を、改めて見出したいという感覚もある。  

 近年、社会が変化しているように見えているが、社会は、人間の意識変化の準備を推し進めているだけであって、その動きが臨界点に達し人間の意識が変化した時、社会は、本当の意味で変化するのだと私は感じている。

 変化は、変化以前の状態の延長線上に現れるのではなく、潜在的な準備が臨界点に達した時、それまでの価値基準が転換するようにして訪れる。

 具体的に説明すると、たとえば会社でオーナー所有の株式が2/3以上の時は、オーナーの意思決定力によって、オーナーの経験やビジョンに沿った物事が展開していく。つまり、現状の延長線上に対してアンテナをきちんと張り、オーナーの気質を熟知さえしていれば、次なる段階のシミュレーションは可能だ。

 しかし、経営意欲が減退したオーナーが少しずつ自社株を手放して現金化し、それまでは全体の10%ほどしか株式を保有していなかった勢力が少しずつ持ち株を増やし、50%以上を保有し始めた瞬間、経営のイニシアチブは完全に切り替わる。本当の変化は、そこから劇的に始まる。

 単純化しすぎているところもあるが、社会の場合も同じだと思う。社会の中で従来の価値観やビジョンを素直に受け入れることのできない気分は、企業でいえば、オーナーの経営意欲の減退に等しい。そうなると、オーナーが持株を少しずつ手放していくように、従来の価値観やビジョンに基づいて作られているものが、機能しなくなってくる。具体的に言えば、「新聞に書かれているニュースは正しいので、それだけを読んでいれば時代に遅れない」という気分が著しく減退していくことも一例だ。

 そういう状態が続き、ある日、それまでの権威的勢力がイニシアチブを握ることの可能なシェアを失った時、シェアが大きいからこそ得られていた様々な強みも同時に失い、それに取ってかわる勢力がつくりあげるシステムによって物事が動くようになる。パラダイムシフトは、そのようにして起るだろう。

 中世においても、聖職者の支配力が強い間は、科学的見識を持っている人がいたとしても、科学を中心に社会はまわらないが、科学的見識が臨界点に達した瞬間から、社会のイニシアチブは、180度転換する。

 現在は、まさにそうした新変化が起こる臨界点の直前に迫りつつあるのではないか。

 私が、これまでの7年間、時代の風潮に寄り添わない「風の旅人」を作り続けてきたのは、そうしたパラダイムシフトが、将来間違いなく起きるだろうという確信があったからだ。

将来の世界観や人生観のパラダイムシフトに備えた心の準備。それが私にとっての「風の旅人」である。

 だから、私が「風の旅人」で紹介する写真や文章は、現状をなぞるものではなく、現状のなかでは見えにくいものの確かに存在し、いずれそういうことがきっと大事になってくるという“兆し”でなければならない。

 だから、今、どの写真家が評判であるか、などという写真業界に寄生する人々の噂話など、私はまったく興味がない。

 

 これまで、私は、そうしたスタンスで「風の旅人」を作ってきたのだけれど、そろそろ次の段階に進まなければならないという気持ちになっている。

 私がこれまでやってきた「旅行」の仕事と、「風の旅人」の仕事の二つの線を組み合わせても、平面にしかならない。さらにもう一本の線を引いて、立体構造にしたいのだ。

 もう一本の線がどういうものかは、まだ手探りであるけれど、雑誌という抽象的な世界ではなく、社会の中のリアルな物事と直接関わっていくようなものにしたい。

 一見、ジャンルは違うもののように見えて、本質的には、自分がこれまでやってきた「世間の一般的価値観から見れば、ちょっと変った旅行業」と「同じく、ちょっと変った『風の旅人』」と、通じ合えるようなもの。

 そういうものは、自分の頭のなかであれこれ考えてアウトプットされるのではなく、これまでのように、“出会い”の力によって、自分でも思ってみなかった方向に、後で振り返って初めて必然の動きだと気づくような方向に、整えられていくのだろうと思う。

 頭の中で考えていることは、しょせんこれまでの知識や体験のうち自分で認識できることだけが基になっている。その程度のことは、既に終わっている。これから必要なことは、現時点で自分では具体的に認識できていないこと。でも、ベクトルだけは何となくわかっていること。そういう状態の時は、とにかく、人と会って、手を動かしてみるしかない。

 何をすべきか明らかになってきさえすれば、それを行っていくための準備は、社会的に整ってきており、それらを生かしていくことは十分に可能だろう。

新しくボタンを作るのではなく、ボタンは全部揃っているけれども掛け方がズレており、そのために窮屈で肩が凝るような思いをしている。私達が置かれている状態を、私は、そのように把握している。

 つまりシステムじたいは、そんなに悪くはない。でも、使い方が、ちょっとズレている。そのズレや、それに伴う歪みを薬で治そうとしても、本質的にはよくならないが、整体でズレを治し、全体の循環を取り戻しさえすれば、いろいろなことがうまくいきはじめるかもしれない。

 楽観的すぎるかもしれないけれど、現代をそのように捉えるだけでも、物事が違って見えるかもしれない。

 

 

2010年1月12日 (火)

自分を入れ替えていく旅。1/31に公開トークを行います。


 

1/31(日) 18:00から、青山ブックセンターで、私が期待している若手写真家の鷲尾和彦君と、公開の場で対話を行います。トークショーのテーマは、『新しい”旅”の写真とは』ということになっています。


【イベントタイトル】
鷲尾和彦写真集「極東ホテル」刊行記念スライドショー& トークショー
鷲尾和彦×大竹昭子×佐伯剛
『新しい”旅”の写真とは』

2009年1月31日(日) 1830203018時開場)
■会場:青山ブックセンター本店
■入場料:500
■電話予約&お問い合わせ電話: 青山ブックセンター本店・03-5485-5511


 鷲尾君の写真は、風の旅人の2737で紹介しているが、誌面で写真を紹介するだけでなく、写真表現の在り方について何度か個人的に語り合っている仲です。

 写真表現を志している人のなかには、「言葉にできないから写真を撮る」などと、格好をつけて言い放つ人が多いけれど、鷲尾君は、自分の言葉を持っている写真家だ。

 私は、表現というものは、言葉をなぞるものではないけれど、自分の中の言葉のベクトルの延長線上にあるものだと思っている。表現する瞬間に言葉(文字としての)がなくても、それまでの人生において、自分の言葉をどのように耕してきているかが、表現に顕現化する。

 自分と世界(他者)との関係において、一つひとつの体験を通して試行錯誤を深めている人は、世間で流通している標準的な言葉ではない自分の言葉を持っている。そうしたスタンスの積み重ねが、写真における被写体の選択や向き合い方などに反映され、結果的に、作品世界に影響を及ぼすのは当然だろう。

 鷲尾君と私の考え方で共通しているポイントは、“旅”というものの捉え方だ。

 彼は、このたび出版される写真集の『極東ホテル』において、東京のかつて「山谷」と呼ばれたエリアに建つ外国人旅行者専用の簡易宿へやってくるバックパッカーたちを約5年かけて撮影したものを発表している。

 そこに写し出されているのは、旅行説明会のスライドのような旅写真ではない。異国を彷徨う旅人の醸し出す気配を通して、旅というものの本質を浮かび上がらせている。

 ホテルの一室で宙を眺めながら、何かを待ち続けているかのような遠い眼差しを持つ旅人。

旅というのは、自ら動き続けることであるけれど、同時に、未来からやってくる出会いを待ち続ける行為でもある。そうした期待のない旅など、存在しないだろう。

 あらかじめわかっていることをなぞるのではなく、また自分が何を求めているか明確に意識していることではなく、といってダラダラと何でも良いというのでもなく、出会った瞬間に初めて、自分がそれを求めていたことに気付ける稀有なる瞬間。旅の喜びの本質は、そういうところにあるのではないかと私は思うし、鷲尾くんもまた、そういう思いを持って、写真表現に取り組んでいるのではないか。

 すなわち、そういうスタンスが旅だとすると、写真表現もまた、一種の“旅”ということになる。

 見知らぬ土地を旅行しても、また見知らぬ人や風景を撮影したとしても、自分の眼差しが変るような出会いが伴わなければ、それは旅とは言い難いと、私は思う。

 ならば、移動せずに同じ場所にいても、惰性に陥らずに物事をみつめ、新たな発見と触発を通して、自分を入れ替えていくことは、旅だ。

 誰でも簡単に海外旅行ができるようになった現代において、ガイドブックに書かれていることをなぞるだけの旅行も多い。また、表現その他の分野においても、ガイドブック的なマニュアル本が溢れ、他人がつくった価値観の枠組みの中でわかったつもりになることも多い。しかし、そうした時間をいたずらに積み重ねても、あれこれ迷うこともないとすれば、自分の眼差しも変ることはないだろう。

 もはや、旅というのは、地理上の移動や、人が作った言葉の中を次々とお勉強するスタンスではなく、自分の眼差しで物事をみつめ、自分なりの世界の付き合い方を、身をもって掴み取っていくプロセスのことだろうと思う。

 同じ場所にいても、意識が変り、視点が変るだけで、世界も変る。鷲尾君は、現在、湘南に移り住み、自分の周辺の人々の営みを丁寧に撮影し続けている。

 地球上のどこであっても、人間の営みには、それが成立していることじたいの奇蹟を強く感じさせる尊い瞬間がある。そうしたものに出会う時、人間という存在のかけがえのなさを感じるとともに、自分が信じ込んでいる価値観の偏狭さに気づかされることがある。そのように自分の価値観を揺さぶられることは、心が蘇生するような快感があり、まさに旅体験そのものと言える。

 しかし、人間の営みの尊さは、それをごく普通のこととして繰り返している当事者には気づきにくいし、通りすがりの人も見落としがちだ。そこに住みついたり、何度も訪れたりしながら時間を共有することで、初めて見えてくるものは多い。

 鷲尾君の写真表現のエッセンスはそこにある。彼は、大きな出来事や目新しいものを撮っているわけではなく、といって、日常を見飽きた視点でダラダラと撮っているわけでもない。彼が撮った人間の日常の何気ない一瞬が清新に感じられるのは、そこに彼の“旅”の視点が息づいているからだろう。

 “旅”の視点を息づかせるためには、単純にあちらこちらを訪れればよいものではなく、常に自分の中を入れ替えていくという、これまでの自分の経歴や実績に寄りかからないスタンスも必要であり、それは誰にでも簡単にできることではない。

 

 

2009年12月14日 (月)

「風の旅人」公開トーク 〜表現の行先〜を終えて。

 

昨日、「風の旅人」公開トーク、「表現の行先」を、無事に終えることができた。

 140名の人達が狭い所に集まり、3時間を超える長丁場に関わらず集中を切らすことなく最後まで付き合っていただき、有難うございました。

今回は、細江英公さん、森永純さん、田口ランディさんといった、ただならぬ人達にご登場いただき、さらに中藤毅彦くん、有元伸也くんという、これからの時代を担っていく写真家をくわえて、「表現の行先」という、とても抽象的で深遠なテーマを掘り下げていこうと思ったので、進行役として話を整えていくのが難しかった。

時間の配分とかに気を使い、話が大きく脱線してしまわないように注意し、といって小さくまとまってしまうと面白くない。などと一人で色々思案すると、どうしても気持ちの余裕がなくなってしまう。今回は、幸いにも田口ランディという心強い助っ人がいて、トークの趣旨を深く理解したうえ、要所要所で極めて有効な言葉を差しはさんでくれ、全体を揺さぶりながら緊迫感のある統合を目指す波を作ってくれた。

進行役も含めて6人もの人間が舞台にあがると、それぞれが自分の領域だけ語って、それぞれの言葉が響き合わずに終わってしまうということがよくある。

”場“というのは一度限りの体験である。その場で発せられた言葉を幾つかメモして、分析することが目的なら、本を読んだ方がいい。私としては、「その時間、その場所にいることができて、本当によかった」という体感を生じさせる力こそが”場の力“だと思う。

単純に役に立つ情報を得るのではなく、空気を体験することで、脳と全身がシャワーを浴びたような感覚。

凄い人というのは、その人がいる空間を共有するだけで、脳内シャワーを浴びたような感覚になるものであって、その力を減退させるようなことだけは、ぜったいにやってはないらない。私が雑誌づくりにおいて神経を使っているのも、その一点に尽きる。

細江英公さんと森永純さんというのは、根本のところでは同じものを持っているのだが、その表出の仕方が全てにおいてまったく正反対であり、この二人のコントラストを傍で見るだけでも、人間存在の奥行きとか幅を強烈に感じる。

「わが道を行く」という言葉は、言うだけなら簡単に言えるが、それを70歳の後半になっても現役で貫きとおし、さらにエネルギーに満ち溢れ、かつ他者を慮ることのできる懐の大きさを持っている人は、稀有だ。

そういう人達のオーラを傍で感じられただけでも、幸福な時間だったと思う。 

また、イベントというのは、発信者側だけでなく、受信者側が発するオーラの影響も受ける。発信する側も人間であり、受信する側が作り出す空気に無意識のうちに影響を受けるものなのだ。とりわけ表現者たちは、自分が発信するものが受信者とどう呼応しているかについて、とても敏感なところがある。受信者側からオーラがはねかえってくることで、さらにポテンシャルがあがる。また逆に、相手を拒絶したり斜めに見るような負のオーラを発散している人と向き合うと、とたんに自分の中の電圧も下がってしまう。

もちろん、細江さんや森永さんの境地になれば、他者の反応の影響をマイナスに受けることはないが、そういう人達は、プラスの電力ならば強力な磁力でガンガン吸収し、テンションはどんどん高くなるのだ。

今回のトークは、3時間半のあいだ、途中で帰る人は一人もいなかった。このような聞き手の集中力と前向きの熱気は、敏感に伝わってくる。

森永さんが、原爆体験のことを自らの言葉で語り出したことに私は驚いた。

ドブ河と波という、シンプル極まりない被写体と、永遠の時間とも言える時空間のなかで向き合ってきた森永さんの核の部分が、その一瞬だけ放たれて宙に消えた。書き言葉ではなく、語り言葉が生命を吹き込む公開トークにおける、かけがえのない瞬間だ。

「表現の行先」というテーマを掲げていた以上、このトークを通じて目指していたところはある。

それは、いみじくもトークの最後に聴き手側から発せられた質問が、象徴している。

撮ろうとして撮るのではなく、撮れてしまう写真。書こうと意図して書く文章ではなく書けてしまう文章。小賢しい人間の理性分別の範疇で表現をコントロールするのではなく、表現者当人にとっても一つの啓示であるかのように、自らの存在を問われるように、自ずから表出する表現。そのうえで、社会および他者に開かれている表現。

自分の知識や技術を披露したり、大衆受けを狙うような、わざとらしい作為表現の残骸が氾濫する現在において、こんがらがってほどけなくなった意味の結び目を、丁寧に解きほどいて、本来あるべき状態に結び直そうとする意思と気合いと根気のある表現。

それを、当人は、無意識に成し遂げてしまう表現。

そういう表現を生みだすために、日頃どういうことに配慮すべきか、という質問が最後に投げかけられた。

その問いに対する一つの正しい答えを出すことが今回のトークの目的ではなく、重層に積み重なった言葉の中から、一人ひとりが、この時代に生きる個人として、どういうことが大切なのか嗅ぎ分け、それを自分流に消化していくこと。そのきっかけになるかもしれない場を大切にすること。安易な答に頼ることなく、自分のアンテナの精度アップをしていくこと。そうしていこうという前向きな気持ちが少しでも芽生えたならば、それで充分。表現の行先は、評論家の客観的分析のなかに正しい答があるのではなく、一人ひとりの心のなかに生じる、ある種のベクトルのなかに少しずつ準備されていくものだろうと思う。

 

 

 

 

2009年12月10日 (木)

東京オリンピック招致活動に関して

5億円の映像

http://www.youtube.com/watch?v=O7E7eOPh7ko&feature=player_embedded

ちなみに、「おくりびと」は1億円、魔女の宅急便で4億程度らしい。

http://0913kaiza.blog89.fc2.com/blog-entry-264.html

 もはや、こういう矛盾は、直接当人達に伝わらない方法で不満をぶちまけるだけ済ます時代でなくなっていると思う。
 とりあえず、都庁の、オリンピック招致実行委員会の方だと無視されそうなので、予算一課の方にメールを送った。
メールアドレス↓
S0000060@section.metro.tokyo.jp

 下記のことさえできないようであれば、”やましいこと”があるからと判断せざるを得ない。

東京都庁
予算一課
担当者どの

五輪招致活動において、
1.5億円もかけた映像を、何らかの方法であらたに一般公開して(お金をかけない方法、ホームページでも構わない)、5億円の価値があるものかどうか都民の判断を仰ぐ機会を設けることを、一都民として要望します。
 ちなみに、
2.スピーチ原稿において、あらたに一般公開して、その翻訳に5千万円も必要なものかどうか、都民の判断を仰ぐ機会を設けることを、一都民として要望します。
3.スピーチの背景に流すスライドにおいて、新たに一般公開して、その制作に2千万円も必要なものかどうか、都民の判断を仰ぐ機会を設けることを、一都民として要望します。
4.スピーチ全体を、あらたに公開して、その内容が、一日60万円のコンサル料を支払う価値があったものかどうか、都民の判断を仰ぐ機会を設けることを、一都民として要望します。
5、60億円もの大金を電通に、コンペもなしに発注したことについて、納得できる説明を要望します。

上記の金額について、最小の経費で最大の効果を得られるよう工夫を凝らしたつもり、という、世間知らずな都知事の発言がありますが、
この金額が、なにゆえに最小の経費ということになるのか、誰もが納得できる説明を、一都民として要望します。

上記の要望を実行するのは、さほど難しいことではない筈です。税金で行っている以上、当然なすべき対応だと思われます。
もし、それができないのであれば、やましいからであると判断せざるを得ません。
早急なる返答を求めます。

佐伯剛

出会いの不思議(続)

私が大学に入学をしたのは1980年。この世代は、シラケ世代といわれ、田中康夫が、ブランド名をくどくどと書き連ねた「なんとなくクリスタル」が大流行した。

 私より10年前に生まれた大学闘争の人達は、社会のことや、人生のことを熱く語り合うことが当たり前だっただろうが、私の時代は、そういうこととは距離を置いて、刹那的に、今を楽しく生きるというムードが広がりつつあり、大学生のあいだで、スキーやテニスが大流行した。時代は、バブルに向かって、盲目的に熱狂し始めていたのだ。

 そういう流れから距離を置いている人も当時の大学の様々な場所に潜んでいたと思うのだが、現在のようにインターネットもなく、サークルなど具体的に存在する場所で人と接し、そこでつながっていくしかなかったのだ。

 同じ時代の、同じ大学構内にいた人で、大学の雰囲気になじめず、中退したり海外放浪に出かけた人と社会人になってから出会い、なんだ、あの時あの場所にいたのかと親しくなった人が何人かいる。

 私は、茨城県のド田舎に建設された異様な大学空間の寮に住んでいた。あの頃、あの場所で、拗ねた目で周りを見ていた者は、だいたい同じような記憶を共有している。

 ただ残念ながら、大学にいる時に、彼らとは出会うことができなかった。もし出会うことができていれば、大学生活をもっと楽しく過ごせたかもしれず、中退などしなかったかもしれない。

 インターネットの弊害については、有識者がいろいろ好き勝手なことを述べているが、私のように、集団の雰囲気に溶け込めない少数派が孤立してしまわず、出会うべくして出会える相手を発見できるツールとしては、とても有効だろう。日常的に活動する場で、そういう相手を見つけ出すのは、とても難しいことだから。

 しかし、めったにないことだが、インターネットのない世界でも、ごく稀に、自分の日々の活動範囲のなかで奇跡的に出会いが実現することもある。奇跡的な出会いというのは、単純に気が合うとか、一緒にいて楽しいとかの次元を超えたもの。生きていくうえで誰もが持っている頼りないベクトルのラインが、相手のラインと捩り合って、より太く強固なフィラメント状態になる瞬間なのだ。実感のある言葉で言うならば、「勇気づけられる」とか、「自分も頑張っていこうという気持ちになる」とか「触発される」とか。それは、その人と一緒にいて安心ということではなく、そういう出会いが必ずあるものだと知ることで、独りで生きていくことの覚悟ができる感覚なのだ。

 だから、その種の出会いは、一瞬の電光石火のようなものでかまわない。一瞬が、自分のなかでは永遠になる。

 20歳の頃の私は、大学内の集団的喧騒状態に辟易していた。適当に話を合わせて、あとは盛り上がろうぜ!みたいな雰囲気の集合から抜け出して、国内を彷徨っていた。その途中、会津のユースホステルで出会った25歳の人に触発され、海外に出ることを決意していた。その人の名前は覚えていないけれど、三人だけが宿泊していたユースホステルで、遅くまで語り合ったことは鮮明に憶えている。

 孤独だったからこそ、そういう一つ一つの出会いが、深く記憶に刻まれている。

 今回、Twitter経由で27年ぶりにつながった松井君との、たった一日の出会いも、同じだ。

 その時、私達は、日通の引っ越しのアルバイトをしていた。その引っ越しは、毎日、数多くの現場があった。何日かアルバイトに通っていたある日のこと、自分の持ち場の引っ越しが終わった後に、別の現場のトラックがバイトをピックアップするためにやってきて、その荷台に乗りこみ、そこで松井君と出会った(のだと思う)。

 何をきっかけにして話をはじめたのか憶えていない。松井君がTwitterに書いているのを見れば、トラックの荷台に乗って事務所に戻るまでの短い時間に、何か互いに感じ合うものがあって話が始まったらしい。どちらが誘ったのかも忘れたけれど、事務所で私服に着替えた後、神戸の喫茶店で長い間、話し込んだ。

 当時、日通のバイトはたくさんいたが、私は他の誰とも気が合わず、バイトの後、一緒に時間を過ごしたのは彼だけだった。飲みにいかずに、喫茶店に行ったのは、旅の資金を必死に貯めていたからだと思う。

 それにしても、一瞬にして感じ合う力というのは、いったい何からくるのだろうと思う。たった一日の出会いの後、お互いにまったくべつべつの道を歩いてきたのだが、現在、彼が行っている表現や世界観を見ると、私のものと同じではないのだけれど、何か響き合うものを感じる。http://idream.exblog.jp/i7/

 つまり、人の潜在意識は同じものを求めているのではなく、自分の中に欠けている何かを補いたいと欲していて、そいつが強力なアンテナになっているのではないかと思うのだ。

 もちろん、人は自分と同じものも欲し、同じものと接することで安心を得る。しかし、そういう感覚は、安心して満たされて、その後の展開が見えない。それに比べて、自分の欠けているものを求める衝動は、ひたすら続く。

 自分のなかで欠けている部分こそ、意識しようがしまいが、常に気になり続けている領域である。

 私が、当時の松井君に感じたものが一体なんだったのか、それはわからない。ただ、私は、彼といろいろ語り合いながらも自分が根なし草であることを強く自覚していたと思う。世間の流れから一歩置いたところで生きていることは彼と同じだったが、彼には“音楽”があった。私は、私にいったい何があるのかを探し求めて、旅をし続ける必要があった。私が当時一番欲していたものは、自分が何者かであることを自分で証明するためのものだった。それゆえ世間がお墨付きを与えてくれるものは、むしろそれを見えにくくすると危機感を感じた。だから自分をドロップアウトに追い込んだ。そのことは今もよく覚えている。

 裸になって荒野を彷徨うこと。そこにしか自分の道は見出せないと、私は必死の思いだった。松井君が、音楽を選択し、それを続けていくこともまた荒野を歩くこと。その部分で2人は共通していたが、私に欠けているものは、荒野を歩いていくための心の拠り所だった。だから、彼が語る“音楽”を、20歳の私は、羨望しただろうと思う。でも、彼もまた、私と同じように荒野を歩いていく覚悟を持っていると感じたから、その羨望は妬みにならなかった。

 海外を放浪している最中、一度か二度、私は彼にハガキを送ったらしい。おそらく、10のうち9の時間はネガティブな気分に侵されていたとしても、たまに訪れる気分が晴れやかなポジティブな自分を、彼に伝えたのだろうと思う。そのようにしなければ、自分を前に進ませることができない時って、あるものだから。

 

 

 

出会いの不思議

 今日、一通のメールが届いた。

「今から、30年ほど前のことです。神戸で、日本通運の引っ越しのバイトをしておりました。偶然一緒になった、同じバイトに、佐伯剛さんと言う方がおられました。僕は、バンドをやっており音楽への路を歩むことをお話し、佐伯さんは、ジャーナリストにと。その頃の、彼の愛読書は、坂口安吾。たった、一日の出来事。何時間も喫茶店(確か、三宮の)でお話をしました。確か、その直後、旅に出ると言われていたと思います。・・・・・・・」

 正確に言うと、27年前、1982年の4月、私が20歳の時だった。大学を辞めて海外に旅立つことを決心して、アルバイトをしながらコツコツをお金を貯めていた。

 出発直前、神戸の三宮で、一ヶ月ほど日本通運の引っ越しのバイトをしていた。その時、めぐり会わせで、たった一日だけ、妙に気が合って、バイトが終わった後に喫茶店で長々と話し込んだ。一緒の現場に行った人かどうかは覚えていない。どういうきっかけで話し始めたのかも覚えていない。そのバイトの期間中、仕事の後で話しをしたのは彼一人だった。だから、たった一日の出会いでも、よく覚えている。はっきり言って、当時の若者文化のなかで私は浮いていたから、引っ越しのバイト先で親しくなれるような人はいなかったのだ。

 あれから27年が経過した。27年も前に、たった一日だけ話し込んだ人と、twitterを経由してつながるなんて。

 この27年の間に、様々なことがあったようにも思うけれど、なんだかつい最近のことのようにも思えてしまう。

 私は、ジャーナリストにはならなかったが、彼は、音楽活動を続けている。

 私は、当時、広河隆一さんの「パレスチナ」に少し感化されていた。広河さんはイスラエルのキブツで働いている時に第三次中東戦争が始まって、それ以来、パレスチナ問題を中心にジャーナリズムの仕事をするようになる。私は、広河さんと同じことをしても仕方が無いと思い、放浪の途中にチュニジアに滞在し、ブルギバスクール(だったと思う)という、外国人を受け入れてアラビア語を教えてくれる学校にもぐりこむ計画を立てていた。そして、実際に、連日50度を超える猛暑のチュニジアでアラビア語を三ヶ月間必死に勉強した(が、まったくものにならなかった)。

 その広河さんとは、「風の旅人」を創刊した頃、何度か一緒に仕事をした。そして、彼がDAYS JAPANを創刊したいと相談してきた時、私もいろいろお手伝いをした。この前、DAYS JAPANの創刊6周年のパーティーがあった時、スピーチをするように言われたので、私と広河さんは考え方が違うけれど、今日のメディアや雑誌の状況に一石を投じたいという思いで雑誌を立ち上げたことでは同じだ、という話しをした。その日、パーティから帰宅する時、なんだか縁というのは不思議だなあと思った。

 また、親しくしている田口ランディさんと私は、偶然にもバブル絶頂の頃、某化粧品会社を相手に仕事をしていて、バブル崩壊の時に同じように辞めていたことを後で知って驚いた。彼女は、美容部員の採用ツールを作っていて、私は、美容部員の教育ツールを作っていたのだった。

 それ以外にも、書き出すときりがないくらい、不思議な縁はたくさんある。世界は広いようで、なんだか不思議なくらい狭いものだ。

 出会うべくして、人は出会うようになっているのだろう。

2009年11月30日 (月)

アートの行き先について思うこと

昨日、吉祥寺の[ON GOING]というミニギャラリーで、若いアーティストの海老原優さんと、トークをした。作品や、彼女の世界との付き合い方に触発されて自分の中から新たな言葉が生じるのが、気持ちよかった。

私はこれまで美術館などで開催される「現代アート」に心を動かされることは、ほとんどなかった。既に自分が認識済みのことを敢えて抽象的に示しているものや、自己破壊的な態度を作品に反映させたものは、今ここから次の位相へと自分を導いていく原動力になりはしない。また、好きか嫌いか、というレジャーの延長線において楽しむのなら、自分で縄文土器を作って眺めていた方が、まだいいという感じがあった。

でも、その理由は、昨日の海老原さんとの話で、なんとなくわかった。

海老原さんの表現を私はとても面白いと感じたのだが、美術界では、「コンセプトがない」などと否定する圧力があるのだそうだ。なるほど、美術館で行われるアートというのは、学芸員(最近は横文字でキュレーターというのか?どうでもいいけど)の人が、“コンセプト”があると判断するものを選んでいるということなのか。もしそうなら、つまらないものになって当然のことだ。

私達は、日々生きていくうえで、様々な局面と境界面を接している。私は、海老原さんの作品を見て、それらの境界面を自分に都合よく線引きして選びとるのではなく、絶え間なく動揺し、不安になったり絶望したりしながら、どこかにあるかもしれない究極の一点での交わりを祈って生きていかざるを得ない人間存在の哀というものが滲み出ていると感じた。

彼女が作り出した立体像の小さな三次元世界への親近感と、その立体像の影を浮かび上がらせながら大きく引き伸ばされる二次元映像の錯誤と眩暈感覚。

その眩暈感覚を嫌って避けて三次元の親近感ある物の世界に閉じこもって生きることを指向する人もいるが、現代人は、社会の仕組みのなかに根をおろしている二次元映像世界の影響から完全に逃れることはできない。敢えて意識的にそうしたとしても、意識と現実のあいだに断絶が生まれるだろう。

二次元と三次元という位相の異なる世界の“間”にあるのが現代の生だ。だから、そのことを誠実に認めたところからしか、次の一手は生まれない。

そういう意味で、海老原さんの作品は、コンパクトな構成のなかに、私達が置かれている多元的界面状態がうまく表されていると私は感じた。しかし、ただそれだけで終わってしまうならば、現象を抽象に置き換えただけのことになる。

あまり書いてしまうと種明かしのようで下らない解説になってしまうのだが、彼女の作品のなかで、二次元世界で横向きになった人間映像の溜息のような“つぶやき”と、三次元世界の立体の人間像との“間”に、人間の身体性というものを捉えるうえで、とても重要な鍵が秘められていると私は感じた。

海老原さんが作った三次元世界の立体像の立ち姿が私は大好きである。あれは、武術や、能などの、“吊腰”の立ち姿だ。肩の力を抜いて自然体ではあるけれど緩んでいるのではなく、“静”から“動”に瞬時に動き出せる姿勢であり、かつ、四方のどの方向に対しても、応じることが可能な構えなのだ。

海老原さんは、吊腰のことはまったく意識していなかった。自分の身体感覚で、あの形を導きだした。彼女は、自分の身体で三次元空間に生きて、膨張した二次元空間とも身体の一部である脳機能で向き合いながら、世界から降り注いでくる刺激に吊腰の姿勢で対応する人間の(現在における理想となるかもしれない)姿を、あそこに置いている。

だから私にとって彼女の作品というのは、簡単には言葉にならないかもしれないけれど、もしコンセプトというものが必要ならば、それが明確に伝わる作品である。

こうした作品に対して「コンセプトがない」といって切り捨てる輩にとってコンセプトとはどういうことかというと、多次元的界面状態の世界のなかから、適当に一部だけを選び出して、それを抽象化したものにすぎないということではないか。

“反アート”なども、当然のごとく多次元的界面状態の世界のごく卑小な一部にすぎないものであり、そういうものは、美術館に一つ便器を置いておしまいにするべきもので、それを最初に行った偉大な先人に恥もなく追随するだけのことを、アートとか、コンセプトと称する凡人が山といて、芸術を混乱させている。

しかも、この現象がより複雑になるのは、その種のどうでもいいことを本で御勉強して、情報を頭に詰め込んでテストでいい点をとれる輩が、権威的なものに非常に弱い美術官僚世界で採用され、この業界の水先案内のようになってしまっていることなのだ。

まあそんなことは、この際、どうでもいい。私が面白いと思うのは、「ON GOING」のような、「権威なんて糞くらえだ」という有志が協力し合って、自主運営のギャラリーを立ち上げる運動が、少しずつ広がっていることだ。

美術館などのように、「来場者数」とか、「結果責任」とかに縛られている世界は、「海外で有名な・・・」とか、「社会的に注目を浴びている・・・」といった、長いものに巻かれろ式の運営になるのも仕方ないし、その方面の立ち回りがうまい人達が、重宝され、力を持つのも当然だ。

そういう呪縛から解放された場をつくっていくことが、これからの表現世界において、とても重要なことになるだろう。写真などに於いても、雑誌社に売りこむという発想ではなく、そういうことにいちいち揺るがされない場を確保していくことの方が、表現を深めていく上で大事なのではないかと思う。

そういうことを私が言うと、「活動の場を増やしたい」とか、「不特定多数の人に見てもらうことこそが私の望むこと」とか、ギャラリーで作品を発表するよりも、「雑誌に掲載され、全国の人々に届けられたほうがずっとうれしい」と言ってくる人もいる。その気持ちもわからないではないし、率直な気持ちなんだろうと思う。

でも、その「不特定多数の人」という抽象性にこだわってしまう自分って、いったいどういうことなんだろうと考えることも大事ではないか。

そういう感覚も、もしかしたら大衆メディアに知らず知らず刷りこまれた価値観かもしれない。

不特定多数って、いったい何者なんだろう。本当に実態のあるつながりを保証するものなのか?

たしかに大衆メディアは効率的に出会いを御膳立てする可能性を持っている。しかし、今日のように急速に狭まった社会では、出会うべくして出会う出会いは、一挙に起らなくても、継続する時間軸のなかで、自ずから起っているように思う。そうした落ち着いた心理モードになっている時、なぜか出会いは向こうからやってくるのだけど、大衆メディアに訴えるといった類の性急なスタンスが自分を苛々と支配するようになると、歯車が狂いだすような気がする。

 出会いや、つながりというものに対する性急な態度というのは、自分のその思いが受け入れられなかった時に、怨みの気持ちを生む。

 その人は、その人個人の動機として、つながりを求めている。だから、自分では、純粋だと思っている。その純粋を受け入れようとしない相手は、酷い人だということになって、逆恨みをする。

 だから私は、「写真の売り込みしか考えていない」というオーラを発している人の売り込みは、できるだけ受けないようにしてきた。

  「作品を売り込んで、発表して、人に知られるようになりたい」という、焦燥感とか、不満とか、逆恨みの構造が、大衆メディアの作り上げてきた、「数」とか、「有名」といった価値観のなかに潜んでいないだろうか。 人と関係を持つにあたって、こうしたから自分を解放しないかぎり、良い関係も持てないだろうし、また長期的に、こうした念を抱えているかぎり、よい作品も作れないだろうと感じる。

でもまあ、社会の表面には、まだそうした大衆メディア的価値観の世界がはびこっているが、近い将来、破綻することは間違いない。異なる動きというものは、それが終わった時に始まるのではなく、同時進行的に、地下で進んでいるものだ。それを見ている人と、見ていない人の違いがあるにすぎない。

  誰が見てもわかりやすい価値観である「数」とか「有名」のものは、何も考えずに多くの人が集中する。それが、経済の投資活動にも端的に表れている。昔は分散していたものが、どんどんと狭まってくる。IT、サブプライムローン、バイオエタノールと連動した穀物相場、石油、ドバイ・・・、2、3年前まではテレビ局が華々しく報道していたドバイも、あっという間に行き詰った。その期間はどんどん短くなる。次は、全てが中国に向かっている。鉄鋼に続き、自動車、そしてハリウッドを凌ぐ勢いの映画産業で、世界一になる中国。20世紀を象徴する“大きなもの”が、バブルの予感とともに中国に集中していく光景は、なんとも不気味であるけれど、それは、20世紀的価値観が引っくり返るパラダイムシフトを引き起こす、必然の、決定的な動きなのかもしれない。



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