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『風の旅人』 vol.44

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2012年5月19日 (土)

原発事故で被爆した小さな村を舞台にした美しい表現

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 本橋成一さんは、土門拳賞受賞の写真家であるとともに、国際的にも評価の高い映画監督だ。
 本橋成一さんは、1986年に起こったチェルノブイリ原発の爆発事故で被災した小さな村を舞台にした、美しい映画と、美しい写真を残している。
 映像の舞台になった小さな村の畑からも、森のキノコからも放射能が検出されるが、不思議なことに、村の中にある<泉>の水からは検出されない。汚染された土地に滾々と湧く<奇跡の水>の力によって、村人たちは生き続けている。
 本橋さんは、悲劇の舞台で生きる人間達を、厳かに美しく描きだす。その美しすぎる映像のため、人類に起こった悲劇をカムフラージュしているなどと批判する人もいるが、私はそう思わない。悲惨で残酷な状況だけに焦点をあて、人間の愚かさを強調したり、政府を攻撃する表現手法の人もいるが、本橋さんの手法は異なる。そして、どちらかというと、本橋さんの手法の方が、より難しいと私は思う。
 本橋さんは、人間の愚かさもわかっているし、権力がやることの酷さもわかっている。けれど、それを暴いたり批判するだけでは現状を否定するだけで終わってしまう。本橋さんは、酷すぎる現状に代わる未来を何とか手繰り寄せようとしている。酷い現状に対して、あたかも自分は潔白であるかのように糾弾するばかりでなく、同じ人間として現状を哀しみ、まずは自分の内側から変えていこうとする静かな意志が、本橋さんの作品には脈打っている。その意志は、祈りであり、魂と言うべきものだ。

 本橋さんは、人間の愚かさによって壊されてしまったものを強調するのではなく、壊してはいけないと痛切に感じさせる世界を浮かび上がらせる。一人一人の心に、「壊したくない、壊してはいけない」と痛切に哀切に願う気持ちが生じなければ、政府を批判しても何も変わらない。けっきょく、政府を選ぶのは私たち一人一人なのだから・・・。
 破壊された物は、状況の悲惨さを伝え、嘆かわしい気分にさせる。しかし、その嘆かわしさが、悲惨な状況を作り出した企業や政府を攻撃するだけで解消されてしまうことがある。特定の誰かを批判することを繰り返しても状況は変わっていかない。なぜなら、膨大な数の人間の生活の積み重ねの上に、エネルギーをはじめ様々な問題があり、それに付随する形で政府の政策が決定され、それに乗じようとする利権屋の思惑も混ざり、複雑で悪い状況がはびこっていくからだ。

 この地球上に起こっている大きな出来事は、一人一人だとあまり関係ないように見えるが、それが何万、何百万、何十億と集まった時に、怪物のような力となって影響を与えているのだ。
 一人一人の意識そのものが変わらなければ、根本的な解決には至らない。
 反戦とか反原発とか反帝国主義とか、巨大な敵がそこにあるように想定して、それらと戦う姿勢をアピールするばかりではなく、その戦う相手が自分の中に潜んでいるかもしれないと内省することも大事なのではないか。本橋さんの映画や写真は、そうしたことを静かに語りかけているように思う。
 本橋さんは、自分のやっていることを大きな声でアピールしたり、スローガンを唱えて煽動するのではなく、小さな声で心の扉を叩くように語りかけている。
 そんな本橋さんの映像の中に登場する実在の人物たちは、彼らにとって当たり前の日常を、当たりまえに生きているが、その当たりまえのことが実に美しい。その厳かで粛々たる振る舞いは、まさに聖典の中の聖人を思わせる。

  この写真は、風の旅人 第7号で紹介しています。

2012年5月13日 (日)

原発に関する私の考え方3

 原発問題は、賛否の立場に関係なく誰にとっても究極の試金石だとの受け止め方が必要であり実際にそうです。単なる生活のことにとどまらない、思考や心構えや生き方全てに関わる試金石。現在の教育現場にはできない哲学の鍛錬の機会。そうあって初めて、あの災害を教訓と言える。
 原発を止める事で、 雇用の喪失、小企業の倒産、商店や家庭での冷蔵庫、冷房断による老人の健康被害…,混乱は弱いものにしわ寄せ。実際に、そうなる可能性はあるのだが、原発反対派は、電気は足りる、代替えがある云々と楽観的観測を言う。そして推進派は、混乱が起こらないために原発は必要で、だから安全性を確保して云々と楽観的観測を言う。
 両者も楽観的希望をもとにした議論であり、原発問題の解答はそういう導き方では決してできないと思う。経済発展と安心生活は一体ではないことを突きつけているのが原発問題であり、その究極的な問い、つまり楽観的希望に基づく思考ではなく、最悪の事態を想定した上で、どうなんだと自分に問うことをしていなければ、実際にそうなった時に、また感情的パニックと、理屈分別の言い訳による対応になる。
 思考として楽なのは、そうした最悪の事態にしない方法があるとか、それとこれは別の問題とかいいながら、自分の支持する方の意見を説くことだけど、もうその程度の意見(原発の段階的縮小云々とか、代替えエネルギー云々とか)は、聞かなくてもわかっている。そして、この種の議論は、互いの優位性を示すための証拠の集め合いの言葉遊びになるだけ。そしたら理屈に長けた方が有利になるので、理屈の弱い方は感情に訴える戦略をとる。どちらも最悪の事態を横に置くということで同じ。
 そうではなく、どちらも起こるうることを堂々と認めたうえで、どちらを選ぶのかを自分に問うということ。私が覚悟と言っているのは、それです。
 でも、現状の日本社会と、現状の思考方法では、その覚悟を持つことは難しいでしょう。
 戦後社会の言葉は、そうした最悪の事態に対する覚悟を避けて言葉遊びを繰り返し、結果として、人々は、そうした言葉にまったく関心を持たなくなり、覚悟よりも、日々の楽なことの方を望むようになったから。
 では、この問題の解き方を考える新しい思考と、新しい気持ちの持ち方と、生き方の見直しに関する言論は、在るのか無いのかと問われれば、在ると私は答えます。でもそれは、二元論に染まった私たちの頭では理解しづらい。勝でも負けるでもないという境地は教育されていない。
 二元論に染まった思考では理解できないだろうから、二元論を押し進めたうえで、ごましながら対応していくと利口な人は考える。ようするに、人間を信用していない。そうした利口が、教育の現場においても、管理を導入し、頭でっかちの人間を大量生産する教育を作る。
 日本の思想は、覚悟の持ち方に通じていた。
 ・・・でも、それが悪用されることもあるし、実際に利用された歴史的経験がある。それが問題。日本が究極において、欧米のようにプリンシプルを持ちにくいのは、その歴史的体験が、背後を脅かしているから。悪用されやすい、覚悟の思想。即席で身につけようとすると、まったく逆方向に行ってしまう。

2012年5月12日 (土)

原発問題に関する私の考え方2

 昨年の震災が起こった時、原発がなくなることは間違いないと思った。電力会社じたいが、もはや原発なんかやってられない、という気分になっているだろうと思った。だって、どんなに対策を練ったとしても一度でも事故があると会社が終わってしまうことを、マトモな経営者はできやしない。しかし、実際にはそうはならず、電力会社じたいが原発をやると言い始めた。50年前、原発を始めた時も、莫大な投資を必要としてリスクも大きな原発を、電力会社単独の意思で決められる筈はなかったと思う。国家の意思として、原発をヤレ、後方支援するから、と言われているに違いないと思う。つまり今も、電力会社単体の意思ではなく、原発を無くすことで国が立ち行かなくなると、国家の意思がそう判断し実行しようとしているのだろうと思う。
 国家の意思は、原子力村とか官僚とか、一部の組織だけの問題ではない。仮に経済が立ち行かなくなることがあっても原発はいらないとまで国全体が覚悟を持てていないから原発を動かす準備が進められる。原発に関しては、いい所取り、という都合の良い判断はあり得ないのかもしれない。「危ない原発はいらない。でも今の生活も維持したい。生活に不安が残るのはごめん」というわけにはいかないのかもしれない。相当な覚悟をもって、反対か、賛成か、考えるべき問題。ただ一つ気をつけなければいけないのは、”今の状態を維持”という選択は、今の状態を穏やかに維持することにつながらないこと。資本主義経済において、今の状態を維持する為には、次々と新製品を作り出すなど無駄も多く作り出すことが前提。だから今の状態を維持しているだけでも、歪みが大きくなる。日本国は、経済を保つために、10年以上、莫大な資金を投入し借金を背負いこみつづけた。結果として、大して成長はせず、維持していただけ。
 今の生活や日本の経済を維持するためにという論法で原発を受け入れることは、間違いなく歪みを先送りしていくことにつながる。実際にそういう先送りによって、この数十年間が費やされたのだと思う。そしてその歪みを一挙に断ち切る策が核燃料サイクルだったからこそ、そこに莫大なお金が使われた。様々な歪みを一挙に断ち切る策がある、それが核燃料サイクルだ、という発想があったからこそ、歪み(核のゴミその他)が生じるのを承知で、原発を作り続けた。その核燃料サイクルじたいが、原発そのものより圧倒的に危険な存在であるという認識に立ったうえで、その策を進めることができるのかどうか。原発か日本の経済かという選択肢だけなら、原発の安全性を一生懸命に説かれているうちに、経済はやはり大事だから仕方ないかという雰囲気になる可能性がある。核燃料サイクルの研究に費やされる莫大なコスト、一度でも大事故があれば一つの県だけでなく国が滅ぶリスク。天秤には常にそれらも乗せるべきであるが。福島原発の事故についても、現在もまだ深刻な問題となっている4号機と3号機は核燃料サイクルがらみの問題。4号機には使用済み核燃料が莫大に残されているし、大爆発した3号機は、使用済み核燃料を再処理したプルトニウムを使ったプルサーマル。もんじゅが爆発すれば、プルサーマルの比ではない。現在、お祭り騒ぎのように反原発を繰り返している人は、原発を停止させれば目的を達するかのような目先の感情論に走っている。しかし、より重要なことは、これから何十年も、優秀な研究者や技術者が、原発関連の仕事に残って、廃炉や使用済み核燃料の処理の方法を考えていくこと。だから原発関連の仕事が非常にやりずらい空気を作るような騒ぎ方には、不安を覚える。原発は憎い敵だから反対!という主張はあまりにも自分勝手。これまでの生活に貢献してくれて有り難う、でもこれからは別の生き方をする覚悟ができているので不要、でも引き続き核のゴミの処理が必要なので、その対策を一緒に考えていきますと言わねば。「難しい事はわからなくてよく、軽い気持ちで脱原発という人達をどんだけ巻き込めるかが勝負」とか、「 反原発、脱原発に理由は必要ない、一人でも賛同者を増やして大きなムーブメントにするべき」と言ってくる人がいるが、原発を拡げたり、もしかしたら戦争に発展させたスタンスも、似たようなもの。そもそも、軽いノリでもいいから数を集めればいいという発想は正しいのだろうか。そのノリは、原発が支えていた消費経済の価値構造どっぷりではないのか。
 浮動層の数は、小泉改革のようにぶっ壊すことにおいて力を発揮するかもしれない。しかし、そこから新しい思想や価値観が立ちあがるわけではない。とにかく、ぶっ壊しさえすれば、後は誰かが適当に考えるだろうという発想を多くの人が持っているから、その後が、グチャグチャになる。グチャグチャになった時の方が、恐ろしいことは、歴史的にはよく見られること。覚悟のない反対とか、大きなムーブメントなんか、私は信用できない。
 でも、原発利権と税金の無駄があることも間違いない。ある電力会社の広報誌を年に二回出している人が一回で5000万円の制作費だと言っていた。風の旅人の10倍だ。質もさほどいいと思えず、ノーベル賞をとった有名科学者のインタビューで権威付をしていた。電力界者を相手にすると楽に稼げるのは、電力会社自体が、楽に稼いでいるからなのは間違いない。自分がシビアに稼いでいると、どうしても、取引先に対してもシビアになるもの。
 「難しい事はわからなくてよく、軽い気持ちで人をどんだけ巻き込んで大きなムーブメントにするべき」という発想に大いに疑問があるのは、そういう安易なスタンスは誰かに上手に利用されやすく、上手に利用する人が別の利権を手にするようになっていて、そのことに無自覚なのが腹立たしいからだ。
 私が「風の旅人」を復刊させようと思っているのは、そのあたりのことを問い直したいという気持ちがあるから。つまり生存の覚悟の問題。復刊のprincipleやbeliefは、それしかない。ロールシャハテストで黒の部分から白の部分への意識が転換する僅かな可能性。そこに向かって具体的な球を投げること。原発の危険性、代替えエネルギー、大勢の普通の市民の意思表示といったことは、私にもわかる。しかし闘いの土俵がそこだから、推進派は、いかに安全性を確保したとか、代替えエネルギーはまだ不十分とか、同じ土俵で正論を繰り出してくる。生活変えますから原発いりませんという運動にならないとダメだと思う。
 反対するのも賛成するのも、押しつけられたり、ムードに流されたりではなく、覚悟をもって自ら選び取らないと、後で、それが悩みの種になったりするのは、人生ではよくあること。結果がどうあれ、自ら選び取ったことだと潔く思えれば、悩みにはならない。どちらが正しいかではなく、選び方が大事だ。
 2,30年後に原発全廃という利口な考えは、政府内でも現実的対応として考えられている手だろう。でも私は、30年後に生存しているかわからない我々が表明する案ではないと思う。去り行く世代は、欺瞞の多い現実的妥協策ではなく、後に受け継がれるような理念を残すべきだと思うからだ。昔の人は、数十年後の子孫のために樹木を植えた。単に樹木を残したということではなく、人生は自分の中だけで閉じて終わるのではないという理念を、樹木を通じて伝え残した。原発を残すということは、自分の生活のために後のことは関係ないという狡さの正当性を、後の世代に伝え残すことになる。
  たとえば子供にとって何が一番悲しいかと言うと、貧しさとかではなく、親の卑小さを見せつけられ、親に敬意を抱けない状態だ。大人が醜いことが子供の最大の苦痛。
 どんなに貧しくても、親を尊敬できる子供の心は健やかだし、それこそ親の背中を見て頑張って生きていこうという力を得ていると思う。どんなに物質的に満たされていても、親の醜さを見せつけられている子供は、悲しみのあまり歪んでいくし、生きる気力そのものを殺がれ、どこかで投げやりになる。 
 理念なくして、人間は、もはや亡霊ですらない。理念が解決するのではなく、解決は、理念の後からついてくるもの。理念という言い方をすると、わかりにくくなるが、ようするに、人として生まれ、いずれ死ぬことがわかっている状態で、悔いを残さない為に、どう生きて死ぬかという腹づもりを定めること。
 再稼働をさせて時を稼いだ方が利口と、ちょっと利口なら誰でも言いそうなことも十分わかる。でも、そうした利口とか現実的という頭の中で作る論は、感情的反対が主張する”危険”を説得できるものではない。また一方、難しいことはわからなくてもいいから数集めろ的な反対や、安易に代替えエネルギーのことを言う反対は、現在の生活が維持できるという楽観的期待が強いだけで日本経済が混乱する可能性を想定していないから、もし原発を止めることで新たな問題が生じると、またパニックになる可能性がある。けっきょく、どちらも生存に対する覚悟の部分は横に置き、頭と感情だけの対立になっている。しかし感情的反対の人も別のところでは利口さもあって、原発の再稼働を強く望む大企業連合に子供が就職できた方が安心と思っていたりする。原発再稼働が利口と言う人は、事故が100%ないことが前提。賛成も反対も、自分に都合の良い方へと考える”いい所取り”でしかない。
 100%安全は日本という天災国ではありえない。原発の分布は全国で、そのうちどこか一カ所でも何かあれば、福島が二カ所になれば、どうしようもない。原発を無くして現在の生活を維持というのも、複合的な理由で、ありえない。では、どちらの最悪が、それこそ最悪なのか考えると、さらに福島のような状況が生じること。ならば、現在の生活は維持できないことを前提に、いろいろ混乱が生じることを前提に、それを覚悟して、原発を止めるしかない。脅しでも何でもなく、その覚悟を持ってくださいと、国民に問わなければならない。でも、そういう問われ方をされると、いやいやそうならないようにオマエが考えろよ、何とかしろよ、と多くの人が言うのかもしれない。そういう言い方しかできない人が大半だろうと想定しているから、そう言わずに、色々ごまかした言い方をせざるをえないのだろう。
 原発問題は、経済とか安心生活といった、これまでの社会や生活環境の中の価値基軸だけをもとに、計れないし、解決できない問題なのだと思う。それらとは別の価値基軸の創造が必要だし、少しでも情報発信や表現に携わっている者は、そのことを自覚して、そこに向かってボールを投げるしかないと思う。表現や情報の発信に関わっている者が、そのことに無自覚に、これまでの社会の中の価値基軸にすぎない経済や安心生活の延長ででしかボールを投げないと、その二つの分断幅が広がるばかりで、どちらの声の方が大きいかの勝負になり、だからお祭り的な反対を指向するようになる。
 これまでは、経済の発展と安心生活は一体だと考えられていたから、両者の分断はおきにくかった。経済格差が生じても、全体のパイを底上げすることが貧者を救うという、経済上位に都合の良い思想も、経済上位と関わりの深いメディアによって、浸透させられていた。
 経済発展と安心生活は一体ではないことを突きつけているのが原発問題であり、この問題の解き方を考える新しい思考と、新しい気持ちの持ち方と、生き方の見直しに関する言論にしか、今は興味が持てない。既にわかりきっている現実論や感情論は、説教されても、それがどうしたとしか言いようがない。

原発問題に対する私の考え方1

 原発全部止まったけれど電気は足りる、だから原発はいらない、という反原発は賛同できない。そもそもオイルショック等の中近東の不安定で、いつ石油の供給がストップするかわからないという危機意識が原発依存を促進させた。電気が足りるから原発はいらないではなく、足りなくてもいらないと言わないと話にならない。
 原発の安全性云々という言い方での反原発も賛同できない。交通事故で亡くなったり後遺症で苦しんでいる人は、この10年で10万人を超えている。だからといって、車をなくせとは誰も言わない。放射能は見えないから恐いという人がいるが、暴走車にはねられた人も同じだ。電気が足りるかどうかとか、安全かどうかという議論は、けっきょく自分にとってどちらが都合がいいかというなってしまう。とすれば、電気が足らず、生活が不便になり、失業が増え、自分の子供が就職できない、それでもいいですか、と突きつけられた時でさえ、自分の信念を貫き通せるのか、疑問が残る。
 原発に賛成かどうかは、安全性とか、電気の需要とか、原発の動向に関係なく、今日的生活が維持できるかのような錯覚のなかでの議論ではなく、生存への覚悟のうえで行われなければ、話にならない。つまり、原発を動かすのならば、自分の住処が福島のようになる可能性があっても生きていく為に仕方ないと思えるかどうか。(津波だけが不安要因ではないから)。原発を止めるのであれば、今の快適で便利な生活ができないようになり、さらに自分の子供が日本で就職できなくても仕方ないと思えるかどうか。日本の産業界が、原発推進を主張しているというのは、利権など単純なことだけが原因とは思えず、電力供給が不安定になるのは経営リスクが大きいから海外に工場などを移転するという発想とつながっている筈。それを企業のエゴと責めることは意味がない。企業も生き残りの為に必死なのだから。
 だから、原発は反対、企業が海外に出ていくのも反対、就職難になるのも厭、政府が何とかせい、という手前かってな論調での原発反対は、単なる空疎な騒ぎにしかならないと思う。原発に反対するのは、たとえそうした生活困難になっても構わない、という覚悟を伴ったものでなければ意味ない。
 さらに今日まで自分の快適な生活のために原発依存をしてきたのに、突然、原発をボロカスに言って、原発関連の技術者を苦境に陥れて、優秀な人が誰も原発関連の研究その他に関われなくなる状態になると、今後の廃炉や使用済み核燃料の処置はどうなる。その身勝手さこそが、子供達の未来へのしわ寄せになる。
 それらのことを十分に考えたうえで、生存への覚悟をもったうえで、私は、原発に反対する。その理由は、使用済み核燃料を処分する場所も、方法も、現状では行き詰まっているからだ。六ヶ所村には、もう持っていけない。核燃料サイクルは、もんじゅの状態を見てもわかるとおり見通しが立たないし、コンプリートガチャのように(つまり、今やめてしまったら、今までの投資がパーという心境につけ込んだゲーム)、お金がかかるばかり。六ヶ所村もダメ、核燃料サイクルもダメで、福島四号機のように、全国の原発の簡易なプールに、危険な使用済み核燃料が残されているわけだが、それを、これ以上増やしてまで守らなければならない我々の生活とは何なのだ、そこまでして守っている我々の生活が幸福なのかという思いが私にはある。
全ての日本人が、急にできることとは思えないけれど、今よりも、素かもしれないけれど、楽しく充実した生活というものがある筈。何が入っているかわからない大量生産の加工品よりも、自分の手で作った味噌があまりにもおいしく、それ一つで食生活がガラリと変わってしまうこともある。
 人よりも数多く高級な物を持っていることが誇りの時代もあったが、そういうのはカッコ悪いという感じになってきて、友人達と、物や空間をシェアしながら、エネルギーやコストの選択と集中ができる方が、スマートと思われるようになってきている。脱原発というのは、そうした生活全般の改革とセットだ。

2012年5月 8日 (火)

生きていることじたいが奇跡と感じられる瞬間

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 齋藤亮一さんの写真は、生きている場所とか時代に関係ない、人間の普遍的な営みに焦点を当てたものになっている。
 たとえば、セバスチャン・サルガドが撮った人間の写真は、善悪の狭間で喘ぎながら究極において”神の審判”に委ねるキリスト教世界の至高の表現であるのに対し、齋藤さんの作品には、人間界の悲喜こもごもを静かに受容する東洋の慈愛が秘められている。
 齋藤さんは、バルカン半島、ロシア、キューバなど、旧共産圏の国々の写真を数多く撮影してきた。最近では、フンザ、そしてインドの写真集。また、昨年の3.11の震災直後、日本中が沈鬱な雰囲気に包まれている状況下で、「佳き日」をテーマに、日本の各地の”はれ”の日の情景を小さな写真集で発表した。青森県の八戸えんぶりから香川県の中山農村歌舞伎まで、全国の祭りや民間行事、そして花見の場面を丹念に撮影したものであり、それらの中には、かまくら(秋田県)、みちのく芸能祭り(岩手県)など、東北地方で撮影された写真も多く掲載されている。

 斎藤さんは、地球上のどこに行っても、人々の何気ない日常を撮影してきた。
 発展途上国とか共産圏とかに関係なく、どこに行っても人間は一生懸命に働き、食べ、語らい、遊び、学び、憩う。そして、どこに行っても、生きていく上で困難な出来事が起こる。天災、戦争といった大規模な災難だけではなく、家族の病死や事故死による哀しみに突然襲われることもある。

 人間はいつか必ず死ぬ。その宿命から逃れることはできない。近代文明において、死は不吉とされる。だから、多くの人は、自分と死が無関係であるかのように振る舞い、死が身近に感じられるような出来事があると、ショックを受けたり、パニックに陥ったりする。
 しかし、死を知るからこそ、生の有難味は増すわけであり、どちらか一方を切り離すことなどできない。
 現在の大衆メディアは、何か事件が起こると、たちまちそれ一色に染まってしまう。昨年の震災後は、毎日毎日、沈鬱なACジャパンの広告が大量に流されていたが、人々が震災のことを少し忘れてきた様子になると、すぐに以前のように、賑々しく、大仰で下卑た笑いがあふれる番組ばかりに染まってしまった。
 震災直後だからこそ、斎藤さんの「佳き日」のように、人間が長年続けてきたあたり前の営みが新鮮であり、そこに写しだされている何気ない瞬間が、とても大切で愛おしく思えた。
 現在の大衆メディアが提示する娯楽は、刹那的で、悲しさや苦しみを遠ざけ、憂さを晴らし、退屈をしのぎ、今この一瞬を消化するためのように感じられるが、斎藤さんの「佳き日」は、今この一瞬に対する愛惜がこめられている。 哀しみも苦しみも引き受けているからこそ、この一瞬を生きる上で大事にすべきものがよりいっそう輝くのだ。
 人間は愚かではない。愚かでない人間が、長い間継続してきたこととは、それだけでも真理を反映している。なのに現代人は、そうした時間の蓄積を否定し、新しく現れたものに価値を置きすぎた。新しいものは時間による淘汰を受けておらず、不確かなものというあたり前のことを見失っている。その一点こそが愚かなのだ。
  齋藤さんは、今日の社会がつくり出す一過性のフォーマットとは距離を置いたポジションに構えることで見えてくる人間の魅力を、寡黙であるけれど力強く写真に反映させてきた。
 どんな環境であれ、人間の営みには、それが成立していることじたいの奇跡を強く感じさせる瞬間がある。
 大量の物やお金を持っていたり高い地位についている人でも、感覚が鈍麻し、日々の営みに倦み、幸福を感じていない人がいるが、本当の意味で幸福な人とは、生きていることを奇跡だと感じられる人だろうと思う。

 この写真は、風の旅人の24号で紹介→http://www.kazetabi.com/bn/24.html

人間の分別を超えた世界を開示する大いなる遊び。

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 今日から6月1日まで銀座で広川泰士さんの写真展が開かれる。 http://rcc.recruit.co.jp/co/exhibition/co_tim_201205/co_tim_201205.html

「旅の途中〜」と題して、デビューの時から今日に至るまで様々な写真が展示される。私も、風の旅人の誌面で、広川さんの写真を数多く掲載してきた。タンカー事故で油まみれになった海岸に何度も何度も足を運びながら、8×10の大型カメラで継続的変化を撮り続けた写真。また、日本各地の不気味な国土開発風景を、同じく8×10で丁寧に撮り続けた写真。そうかと思えば、自分の仕事場のすぐ近くにある代々木公園から拾ってきた枯葉を、ベランダに特設したミニスタジオで、4×5のフィルムを使って撮り続けた写真。そして、ここに紹介している、世界各地の荒涼たる巨岩と星空を、8×10カメラで写し撮った写真。

 http://www.kazetabi.com/bn/04.html

 広川さんは、広告写真家としても日本トップクラスで、その技術は間違いなくピカ一で、様々なテーマを器用にこなしている写真家でもある。

 しかし、私にとって広川さんの魅力は、そうしたスマートな側面ではなく、むしろまったく正反対の愚直さと、普通の人から見ればナンセンスに思えるようなことに対する、本人なりの徹底的なこだわりぶりだ。

 たとえば、風の旅人の16号で掲載した重油まみれの海岸。1997年、日本海でロシアのタンカーが沈没した際、メディアは、こぞってタンカーの船主が漂着した福井県の三国町に集中して大騒ぎをしたが、しばらくすると誰も関心を持たなくなってしまった。それに対して広川さんは、重油は三国町だけではなく広範囲に広がっていたので能登半島の突端まで足をのばし、誰も注目していないけれど海岸一帯を重油が覆い尽くしている場所に大型カメラを設置し、定点観測で、1997年から2005年まで愚直に撮影し続けた。海岸から重油はすぐに消えて、やがて人間が作り出したゴミで海岸が覆われていく様が、とても印象的だった。

 風の旅人の第4号で掲載した巨岩と星にいたっては、広川さんは、12年という長い歳月をかけて、地球上の果てまで巨岩探しの旅を続けた。8×10の大型フィルムなので、一度の取材でシャッターを切るのは、せいぜい5、6枚。きめ細かな岩肌と、繊細な星の軌跡を再現するために、昼夜24時間かけて根気よくシャッターを開きっぱなしにするのだそうだ。その間、少しでもカメラが動いたら台無しなので、三脚を改良し、風が吹いてもビクともしないように重しを乗せる。機材の総重量は100kgを超え、それを担いで、山を超え、谷を超えて、絶好のポイントを探す。わざわざ地球の反対側のナミビアまで行っても、有名なナミブ砂漠に行くのではなく、巨岩と星だけを撮って帰ってくる。広告で稼いだお金を、そうしたクレイジーな遊びで蕩尽するのだ。せっかく世界の果てまで行っても、フィルムに何も写っていないということもある。また、モンゴルなどは夏至の時しかダメだろうと、わざわざ夏至を狙って行ったのに、山火事とか天候不順で、けっきょく3年間も通っている。自分の腕一本で稼いだお金で、誰にも迷惑をかけずに、星と岩を相手に遊び続ける広川さんは、スケールが大きい。親の財産で遊んでいる輩とは、スケールが違いすぎる。

 世間で標準化された価値判断の中しか知らない人からすれば、一体何の意味があるのかと問われそうな試み。こうしたことができる人にしか、人間の新たな可能性は拓けないし、世界の凄みも伝えられない。人間社会が作った価値基軸を超えられる人しか、人間を超えた世界の凄みもわからないのだ。

 そんな、野性のスピリットを維持し続けている広川さんだが、人間社会の中で働いている時は、きわめて誠実で秩序正しい。いざという時に大きなエネルギーを出せる人の日常は、静穏で、整っているのが自然なのだろう。巨大な津波にもなる力を秘めた、静かな凪のように。

2012年5月 7日 (月)

能登という折り返しポイント

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 連休のはじめ、能登に行った。能登は、私が20歳の時に、大学を辞めて、海外放浪をしようと決心した場所。
 そして、風の旅人の創刊の時、日本海から吹き寄せる強烈な風と雪のなか、上大沢の間垣の村を取材した。
 私にとって能登は、最果てのイメージがある。そして、行き止まり。行き止まりまで行くと、絶望するのではなく、自分にまとわりついている様々な夾雑物を脱ぎ捨てて、気持を一新して生き直そうという気になる。つまり、行き止まりは、折り返しポイントなのだ。
 今回の能登の旅は、写真家のマスノマサヒロさんと一緒だった。マスノさんとは、少し前、白山にも一緒に登った。白山登山も、稀有なる体験であり、その後の私の活動に大きな影響を与えた。
 今回もまた、そうだった。このたび私が訪れた能登は、日本海の荒波が打ち寄せる場所ではんなく、鏡のように穏やかな凪状態だった。めったにそんなことはないだろう。ほとんど波が立っていないのだ。
 だから、数年ぶりに訪れた上大沢の間垣の村は、まったく異なる印象だった。まさに静謐と清浄なる別世界。
 そして、宿泊したのは上大沢と輪島のあいだの小さな民宿。ここの主人が、高齢ながら定置網の漁師で、幸運に早朝から漁船に乗せてくれるということになった。
 朝2時に起きて、写真家のマスノマサヒロさんと私を乗せた小さな漁船は、静かな海にこぎだしていく。凪状態だからよかったものの、日本海の荒波で、こんな小さな船だと、とても不安だと思った。でも漁師さんたちは、平気な顔。
 それにしても海の男の仕事っぷりは、、カッコいい。みんな、おそらく70とか80こえている筈の爺さん達の足腰は、まことにしっかりとした構えで、年をとっても、こういう風でなければならないと思った。
 その後、獲った魚の行方を追って、朝6時ころ輪島の魚市場に行き、セリの現場を見学。凄腕の婆さんが、大きな鯛とかブリとか競り落としていたのでどうするのかなあと思っていたら、その訪れた輪島の朝市で店を開いていて、大きな鯛は、アイキャッチになって、客足をとめていました。商売も上手な婆さんでした。
 船の上で収穫した鯛やブリが、早朝のせりで売られ、それを買った婆さんが、輪島の朝市で売っているところまで追跡できた。その後、その魚を買った人が、どう料理し、どういう人の口に入るのかまで追跡できると面白いね、とマスノさんと話した。
 また、早朝のセリで、たくさんの魚を強引に競り落として、輪島の朝一で売っていた凄腕の婆さんの普段の生活にも密着したいなあと。

 輪島の朝一の後、20の頃、失恋の痛手とともに訪れた恋路海岸、そして、かつてはイルカ漁で活気に満ちていただろうと想像できる真脇の縄文遺跡を訪れた。そして、UFOで有名な羽咋にある宇宙科学博物館。辺鄙な場所に、凄いものがあります。この博物館に展示されている月面着陸機やボイジャー探査機は、全て本物。高野誠鮮という宇宙人みたいな発想をする逸材が、多くの自治体が、うさんくさい代理店に仲介させて、莫大な出費で偽物ばかり買わされているを尻目に、自らアメリカやロシアを相手に直談判を行なって、格安で本物を手に入れてきたのだ。
 多くの博物館にある高額なイミテーショーションのロケットなどは、鉄製のため、保守管理にも莫大なお金がかかるらしいが、本物は、チタンなど宇宙空間でも劣化しない素材を使っているので、保守管理も非常に楽らしい。すばらしい。
 日本の自治体が、もう少し賢くお金を使えるようになれば、日本の状況もかなり改善出来るはず。でも、愚かなお金の使い方をしてもらった方が儲かるという人が、後ろで糸を引いていることが、問題を複雑化させているのだろう。
 いずれにしろ、能登は、プリミティブであり、根元であり、それでいて、未来に開かれている土地だと思う。だから、私は、人生の折り返し時点で、能登に行く。

戦後日本にも、こういう世界が残されていた。

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 一昨日訪れた能登で漁師の逞しさに触れて思い出したのが、この小関与四郎さんの九十九里浜の写真。小関さん自身も豪快な人だが、彼は、30年以上にわたって九十九里だけを撮り続けている。この写真は、戦後のものであり、ほんの30年ほど遡ると、日本にはこういう光景がまだ存在していたのだ。

 九十九里浜は、ご存知のとおり、砂浜の遠浅海岸であり港がない。だから、漁に出る時には、砂浜から海へ船を運び、戻ってきたら、海から砂浜に船をあげる。この重労働を、なんと女が負っている。とりわけ冬、水温が低くなると男の身体だと耐えられず、男よりも冷温に強い女に頼るしかないらしい。女は、凄い。

 九十九里浜の海岸は、戦後、護岸工事が繰り返され、かつての面影は急速に失われている。いくらコンクリートで固めても、台風に直撃されると壊れてしまうので、修復工事ばかりやっているらしい。さらに、海岸線をコンクリートで固めたため、近年、砂浜は急速にやせている。

 九十九里にかぎらず、日本各地で同じようなことが行われている。何百年、何千年と続けてきた人間と自然の営み。海に削られた陸は、他のどこかで砂浜となる。そのリズムを、この数十年の間で、人間が狂わせてしまった。

 人間は、欲心によって何でもかんでも自分のものにしたがるが、けっきょく、それ以上のものを失っている。

 堂々と裸になって海で働く女性達の神々しいまでの眩しい姿を、日本ではもはや見る事はできない。

 この写真は、風の旅人の第29号で特集した。

戦後日本の象徴的な写真~森永純のドブ川


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 風の旅人 第34号で紹介した森永純さんのドブ川の写真。1964年の東京オリンピックは、高度経済成長の中で、日本が先進国に肩を並べるまでに発展してきたことを象徴するできごとだった。同時に新幹線が開業。首都圏は建設ラッシュにわき、首都高が張り巡らされ、都市の姿が大きく変貌していった。
 東京が、そうした熱気に包まれていた1960年代はじめ、森永純さんは、毎日、東京のドブ川を撮影し続けていた。公害という言葉も、まだ浸透していなかった時代、生活排水や工場排水が流れ込み、汚れきって、ひどい悪臭を放つドブ川。その水面に顔をつけるように覗き込みながら、森永純さんは、いったい何を見ていたのだろうか。

 以下、森永純さんの写真に衝撃を受けたユージンスミスの言葉。

「森永純は、私にとってエキサイティングな写真家である。彼のヴィジョンにしばしば用いられる素材は、われわれ多数にとってはアン・スペクタクルで地味なものではあるが、しかし、それが彼の手を経て写真に表現されると、比類のない彼独特の生命の神秘を息吹かせるところの心理ドラマとなってくる。
 私の純の写真に対する最初の出会いは1961年である。当時、私は日本に滞在中で二人目の助手を探していた。そこへ私の良き友人であり最初の助手でもあった西山雅都が、圏外に慎ましく待機していた若い写真家の作品を携えてきた。それは一時間にも満たない眠りを過ごした夜のあとの朝の仕事のはじめであったので、写真を見ることは思っただけでも嫌だった。うんざりして、この押付けに内心憤慨しながらも、おとなしく座ってそれを見はじめた。汚物と泥の渾然としたイメージ──私が見たつもりのものはこれだった。私は、私自身に対して憤然と唸りの声を挙げた。ーユージン・スミス
 だが、それらのイメージから脱けきらないうちに、この汚物や泥、草や、廃棄物や毀れ物の破片のイメージに深く捲き込まれてしまった。私はひとつのイメージの中の無数のイメージ、それらの中にひそむ感動的な力に愕然とした。私は“男”は泣かないということを承知している──が、私は泣いた。同室のものから顔をそむけ、涙と嗚咽を抑えるのに精一杯だった。私を深く感動させる写真、私の人生を変えてしまう写真は数少ない。森永純の写真はその二つを併せ持っていた。ーユージン・スミス


2012年5月 6日 (日)

3.11直前の東京、時代と写真表現の重なり

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 昨年の3.11の大震災の前に「空即是色」というテーマで第43号の準備をしていた。その内容は、あの大震災を予言するかのように不吉な波や、沈鬱とした東京の街や、水辺で祈る様々な宗教の人々や、生と死が一体となったような自然の光景や、若くして未亡人になった女性とその子供などで構成されていた。

 http://www.kazetabi.com/bn/43.html

 この中藤毅彦君の東京の写真もその一つだ。中藤君の写真は、風の旅人で何度も掲載してきたが、それ以外に、彼とは、介護会社のPR誌をはじめ様々な仕事の取材で東北や九州などに一緒に行っている。

 3.11の震災直後も、震災地に行かなければならないという気持ちと、行っても何にもできないのではないかという気持ちの板挟みになって二人で話をしていた時、介護会社の社長が石巻から私に電話をかけてきて、震災直後の介護現場の状況を取材して欲しいと依頼があったので、中藤君と二人で、すぐに宮城県に入った。

 実はつい一週間ほど前、大勢の学生の前で中藤君と対談をする機会があり、彼のデビューの時からの写真をスライドショーで次々と見ながら、色々話しをした。彼の写真は、これまでにも十分に見てきたつもりだけど、改めて全体を俯瞰して見ると、私たちが生きる時代において、重要な節目となる時期に、鍵を握る場所で撮影を行っていることに改めて気づいた。

 バブル崩壊後の東京の町中、ベルリンの壁崩壊後の東欧諸国、9.11直後のニューヨーク、2005年前後、自由経済化に伴って変貌著しい中国、ロシア、そして、ここに紹介しているような3.11直前の不吉な空気の漂う東京。それらの写真は、単なる事象をドキュメント的に映しているのではないし、海外を記号的に伝える絵はがき的なカットも一枚もない。たとえば、9.11テロ直後のニューヨークの写真では、ナショナリズムが高揚する一方、戸惑いと悲哀をにじませながら自分を強く見せようとするアメリカ人の心情が、よく現れている。

 また、9.11と3.11の間、サハリンやキューバなど、大国の隣でありながら、別世界に生きる人々の豊かな表情を撮っており、人間の幸福が、資本主義経済の尺度だけでは計れないことを、主義主張ではなく、小さな声で繊細に伝えている。

 彼は、一流の写真家と言われる人が持ち合わせている嗅覚で、社会の表層からは見えにくい時代の潜在的な空気を、当人は無自覚のまま捉える写真家だ。 

 一般の人々が大衆メディアなどを通じて知らず知らず自分の中に作り上げているイメージをなぞるだけのコピー写真を撮って、一般の人々にすり寄って媚びるフォトグラファーも大勢いるが、それらの写真は、映した瞬間、すでに過去のものでしかない。

 「写真は、事象を記録するので、それはどのように撮っても過去の出来事である」と言う評論家がいるが、それは、時間を直線的にしか捉えることのできない人の思考の癖だ。私は、よく喩えに出すのだけど、時代社会はロールシャハテストのようなもので、黒い部分にしか意識がいかず、壷にしか見えなかったのに、ある日、白の部分に意識がいくようになって、向き合う二人に見えるようになる。美の尺度も、そのように変遷するし、自分を中心にして世界を見ている感覚と、世界の方から自分が見られているという感覚も、突然、入れ替わる可能性もある。パラダイムシフトというのは、そういうものであり、優れた写真家というのは、多くの人が黒の部分にしか意識が行っていない状態の時に、白の部分の見方を提示している人だと私は思っている。だから、当然ながら、孤独になりやすい。人と違うものを見ているのだから。

 社会通念上、正義で善とされるような価値観に寄り添って表現活動を行っている人を、私は、表現者として、あまり信用していない。むしろ、その表現は、多くの人が黒と見ている状態をさらに強化して、白と見る可能性を狭めているのではないかとさえ思う。人の意識を狭めたり、既存の固定観念を強化するものは、もはや表現とは言えず、時代や社会との馴れ合い作業だ。

 そういう意味で、中藤君という写真家を私は信用している。彼には、表現者を名乗る者に多く見られる傲慢さはない。頑固さや自己主張の強さを表現者の証だと勘違いしている人がいるが、それは、人間の自己が、今ほど強くない時代に、自己を強く持てる人が貴重だっただけで、今では誰も彼もが自己を強く主張するので、表現者が、それを真似してもしかたがない。むしろ中藤毅彦のように、自己を抑制でき、柔軟に人に対応する事ができ、若い人達に対して面倒見のいい人の方が、未来の表現者の姿かもしれない。

 話は変わるが、岡本太郎と言えば、大衆メディアがオモシロおかしく取り上げてきたため、強烈な自己を持っていて、アクの強い人という印象を多くの人が抱いているが、私は、彼が、人の写真を正面から撮るのが苦手で、背中から撮ってしまうという話が好きだ。

 彼は写真家ではないけれど、その話は彼の性質をよく表している。真実を表現するには、対象に対して、目を少し伏せるくらいの謙虚さが必要なのだろうと思う。

 中藤君も、人を撮るのが苦手だった。だけど写真家は、躊躇いながらも、人を正面から撮らなければならない瞬間がある。

 一緒に介護現場の取材を重ねて来て、中藤君は、人を正面から撮ることの難しさをわかったうえで、敢えて撮るための呼吸を少しずつ身につけてきた。若い頃は、大衆メディアが作り上げるカッコよさの範疇に属さないカッコいい街中写真が彼の持ち味だったが、今は、人間存在の根本に問いかける写真が増えてきている。それは、これからの時代に、とりわけ重要なテーマだろう。

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2004年11月~

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