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『風の旅人』 vol.44

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まほろば

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2009年6月24日 (水)

『風の旅人』第38号(2009年10月1日発行)について

テーマ 彼岸と此岸① 

時の肖像

 

 近代的価値観の上に築かれている社会で生きている私たちは、教育やメディアの影響もあって近代的思考の枠組みに閉じ込められ、近代の枠から外れたものを、「古い」、「例外」、「得体が知れない」等と整理しがちです。

 しかし、たかが数百年の近代世界こそが人類の長い歴史から見れば「例外」で、その枠組みじたいが、もはや「古い」可能性もあります。

 近代の枠の中を「此岸」とすると、そこに入らないものは「例外」ではなく、近代から見て「彼岸」、つまり「近代的な視点では理解できない世界」、もしくは「人間が記憶の彼方に置き忘れた世界」にすぎないとも言えます。

 近代に確立された自己中心の狭い尺度から世界(他者)を捉える視点ではなく、広大深遠なる世界(他者)の側から自己を捉える視点を持つことさえできれば、世界は、まるで別のものに見えるかもしれない。視点の違いによって、世界観も人生観も異なってくるということを、第38号から「彼岸と此岸」というテーマのなかで具現化していきたいと思います。

 その第1回は、「時」というものの、捉え方です。

 「あの時はわからなかったけれど、今ならわかる」というように、視点が変わることで、過去の出来事が書き換えられることがよくありますし、記憶の彼方に置き忘れていたものが、何かをきっかけにして、とても大事になることがあります。また、現在の状態に行き詰まっている最中、ふとした出会いや、ふと想い出したことが、未来の鍵を運んでくることがあります。

 そのように、過去と未来は、人それぞれの”今”の状況と視点に応じて、その都度、姿を変えて去来しています。

 私達は、近代社会のなかで、”時”というものが動画のように過去→現在→未来の方向に自動的に流れていくようなイメージを植え付けられていますが、未来は、”きっかけ”とともに始まり、その”きっかけ”の到来を私達は常に待っているとも言えます。さらに過去もまた、”きっかけ”とともに浮かびあがり、その時々の意味を持って、未来とつながっていきます。そして、私達が無意識のうちに準備を整えて待っているからこそ、それらの”きっかけ”が、宿命的な出会いのように感じられます。

 これから来る「時」とつながる”きっかけ”が見える状態になって初めて、人間は未来という時間を知るのであり、その”きっかけ”を自分で発見する準備をせずに権威が定める正しい答に依存しすぎると、いくら情報を集めても、未来が見えないまま止まることになるのでしょう。

 また、時の認識の仕方は、対象との距離によっても異なってきます。

 状況変化の真っ只中にいると、”時”は、激流のように感じられるかもしれませんが、距離が遠ざかっていくと、宇宙から地球を俯瞰して見る時のように、動きは次第に静止し、一つの画のようになっていきます。

 時の経過とともに対象との距離が遠ざかって一つの画のようになっていくのであれば、近代世界全体がそのように見える時点がどこかにあるかもしれません。

 対象に近づけば近づくほど激しく流れ、遠ざかると静止しているように見える。そして、さらに遠ざかると、他のものとの相対的な位置関係が見えてきて、広がった視界のなかで新たな対象を発見して再びそこに近づいていく。人間は、そうした視点の変遷を何度も行い、生の時間を、一枚の画と感じたり、激しい流れと感じたりしながら、生きているような気がします。

 

2009年10月 第38号 彼岸と此岸① 時の肖像

≪写真≫

◆原始の記憶          写真/北義昭

◆原始の記憶         写真/大西成明

◆モーメント、モニュメント  写真/森永純

◆THE BIRDS     写真/Paolo Patrizi    

◆光跡/追憶・・ 和歌山        写真/ヨハン・オーカタ

◆古と今の世界         写真/ 久保田博二


 ≪小特集≫

◆電気の宇宙⑧ 太陽     文/デビッド・タルボット

◆縄文のコスモロジー① 縄文の人間学  文/酒井健  写真/滋澤雅人


≪文章≫

◆斜線の旅/管啓次郎

◆いまここで、あるいは、ここではないどこか/田口ランディ

◆犀の角問わず語り/姜信子 

◆暮らしと信仰/前田英樹 

◆旅人の心得/皆川充 

◆意識の地図/蛭川立

◆見ようとする意思/小栗康平 

◆彼岸と此岸/ 望月通陽

2008年2月19日 (火)

『風の旅人』 第31号以降について

 「風の旅人」の創刊号は、2003年4月1日です。その後、4ヶ月に1度(2月、6月、10月の1日)発行を続けています。
 創刊号から第11号までの大テーマは「森羅万象と人間」で、その大テーマに添って、天、水、森、石、都市、生命、大地、生物、人間、風土、荒野、文明と特集テーマを変え、11冊に渡って、写真と文章で誌面を構成致しました。
 第12号~第15号までを「自然と人間のあいだ」、第16号~第24号までを「世界と人間のあいだ」という大テーマを設定し、それぞれの”あいだ”を表すための様々な特集を組み、編集しました。
 第25号~第30号までは、表紙の制作を「現代アート」の鬼才、大竹伸朗さんに依頼し、「われらの時代」という大テーマで制作しました。
 「われらの時代」というのは、「今現在」という限定された時期を指すのではなく、「今現在」をこのような状態に整えていった「近代以降」の人間の思考特性や行動特性の総体です。そして、2008年4月より、表紙の制作を、自称”原始人”の望月通陽さんに依頼し、「永遠の現在」という大テーマで、近代的な意識概念の厚い角質を取り除いたところにあるものに向かって、制作していきたいと思います。

 「永遠の現在」というテーマは、創刊の時から流れているものではありますが、それをより意識的に、誌面に反映させるということです。
 私たちは、今この瞬間に影響を与えている「過去」から、今この瞬間の影響を受けていく「未来」まで含んだ「時間全体」の中の一瞬一瞬を、不可逆的な波となって、複雑精妙な関係性のなかで様々な影響を受けたり与えたりしながら生きています。すなわちこの一瞬の営みは、どんなものでも未来に対して何らかの揺らぎと影響を与えていく可能性を秘めたものです。
 しかし、今日の社会で教えられることは、私たち一人一人の営みとは関係なく遠い昔に「時間の始まり」があって、それが「終わり」に向かって進んでおり、その予め定められた直線的な時間の中に個々の営みが位置づけられているという概念です。
 私たちは、本来、様々な関係の波を受けて次の波に伝える波の一つであるはずなのですが、現代社会の時間概念によって、波間に浮かび不安定に揺らぐ小舟のようなイメージを与えられています。そうしたイメージは、いったいどこで作られるのでしょう。
 例えば、現在科学の精鋭を集めて行われている「宇宙論」などにおいても、その最初の大爆発があったとされる「時」と「場」は、私たちがまるでリアルに感じられないものとして奉られ、あたかも聖域のように、そのことについて語ったり考えたりできるのは、一部の専門家のみとなっています。
 一部の専門家が決定する「時間概念」や「宇宙概念」に対して、その他の大勢は、疑問に思わずに素直に有難く頂戴しなければならないという教育を、私たちは受けています。
 そういう態度が、この社会の良識ということになっています。
 人生において有益とされる「情報・知識」を作り出すのは一部の専門家であり、それを、その他大勢は、素直に受け止めることを暗黙のうちに強要される。「情報・知識」を作り出す現場において何がどのように行われているかを、その他大勢は知る由もなく、専門家だけにその権限が与えられる。また、異なる領域の専門家もまた、蚊帳の外に置かれる。
 科学であれ、政治・官僚であれ、大学であれ、マスメディアであれ、そのように専門家が閉じた世界のなかで物事を決めていく古い権威的構造が今もまだ多く見られます。

 しかし、この現実世界は、いつまでも専門家が縄張りを維持できたり、不動の二元論的秩序に支配され続けるわけではないでしょう。流動的に変化しながら境界を超えて交わっていくことが次第に常態となってきており、むしろそのように開かれた変化世界の方が、閉鎖した固定世界よりも、優れたバランス感覚をもとにした安定や調和が生じています。
 その流動状態のなかで、一人一人のリアリティにそって、一人一人が生きる「時」や「場所」が生じ、それらの「時」や「場所」が寄せ集まり、互いに影響し合い、せめぎ合い、全体としてなるべくして整えられた波となって、うねうねと伝わっていきます。
 一人一人は、波間に浮かぶ小舟ではなく、波そのものとして互いの相補関係のなかで生きている。そうした感覚がリアルになり、それに基づいて行動することが自然になると、「時」や「場所」や「生命」に対する考えが相転移を起こすのかもしれません。