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『風の旅人』 vol.44

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2009年5月30日 (土)

今、ここにある旅

                                                      
 「風の旅人」の第37号(6/1発行)の誌面と連動して、5月30日~6/8日まで、新宿の高野ビル4Fのコニカミノルタプラザ ギャラリーCで、写真展を行います。
 東京写真月間2009の企画で依頼を受け、「風の旅人」流の”旅”を構成致しました。テーマは、「今、ここにある旅」です。
 有元伸也、奥山淳志、西山尚紀、山下恒夫、鷲尾和彦など、20代、30代の若手写真家を中心とした写真で組んでみました。                                           
 

写真展の開催内容

http://konicaminolta.jp/plaza/schedule/2009june/gallery_c_090530.html

●日時:5月30日(土)~6月8日(月)
●時間:10:30~19:00(最終日~15:00)
●場所:コニカミノルタプラザ ギャラリーC
●住所:東京都新宿区新宿3-26-11 新宿高野ビル 4F

      
 <展覧会趣旨>

 見知らぬ場所を訪れても、自分の眼差しが変わらなければ旅とは言えない。同じ場所にいても、惰性に陥らずに物事をみつめ、新たな発見と触発を通して自分を入れ替えていくことは、旅だ。
 現代社会の政治、学問、教育、経済等、知的エリートとみなされる人たちが主流の分野では、物事(他者)を細かく分析して標準的な答を見つけ出し、その答に大勢を従属させる点で似たような構造にあるが、そのようにして得られた答は、永遠普遍の価値を持つものではなく、この時代における便宜上の尺度にすぎない。
 それはそれで社会を維持していくうえで必要なものだが、その枠組みの中で自分自身の心の揺れを完全に抑圧して生きることが自然の理に適っているとは思えず、だからこそ人々は、自分なりの答を探し求めて旅に出るのだろうと思う。
 しかし、誰でも手軽に旅行ができるようになった現代社会で、せっかくの旅先でも、ガイドブックに書かれている有名なポイントをなぞるだけとか、他人がつくった価値観の枠組みの中でわかったつもりになる状況も増えている。遠方まで出かけたとしても、自分の眼差しが全く変わらなければ、時間の消費にすぎない。
 旅というのは、地理上の移動ではなく、あれこれと迷いながら、自分のまなざしでモノゴトをみつめ、自分なりの世界との付き合い方を体得していくプロセスのことだと思う。
 同じ場所に住んでいても、意識が変わり、視点が変わるだけで、世界も変わる。地球上のどこであっても、人間の営みには、それが成立していることじたいの奇跡を強く感じさせる尊い瞬間がある。そうしたものに出会う時、人間という存在のかけがえのなさを感じるとともに、自分が信じこんでいる価値観の偏狭さに気づくことがある。そのように自分の価値観を揺さぶられることは、心が蘇生するような快感があり、まさに旅体験そのものであると言える。
 しかし、人間の営みの尊さは、それをごく普通のこととして繰り返している当事者には気づきにくいし、通りすがりの人も見落としがちだ。そこに住みついたり何度も訪れたりしながら時間を共有することで、初めて見えてくるものがある。
 今回の写真展で写真家は、まさにそうしたアプローチで対象と向き合っている。
 彼らは、通りすがりの土地で自分本位に人間や風景を切り取るのではなく、一つの土地と長く付き合い、そこに生きる人々と心を通わせながら、人間の営みの尊さを写真で浮かびあがらせている。
 大阪生まれの奥山淳志さんは、10年間、岩手に住みついて撮影を続け、山下恒夫さんは、10年も沖縄の島々に通い続けている。鷲尾和彦さん、西山尚紀さん、有元伸也さんは、自分が生きて暮らしている場所の近隣で、自分にとっての他者の世界に深く向き合いながら、時間をかけて撮影し続けている。    
 彼らが撮影しているのは、大きな出来事や目新しいものでもなく、人間の当たり前の暮らしであるが、それらの写真を見ていると、人間の日常の何気ない一瞬がとても清新に感じられてくる。彼らの眼差しを通じて日常を見つめ直すことは、まさに「今、ここにある旅」を実践することであり、その“旅体験”は、きっと新たな認識につながっていくだろうと思う。

2009年4月15日 (水)

【epsite】写真展のご案内

何度か「風の旅人」で写真と文章の発表の機会をいただきました船尾修です。

このたび「カミサマホトケサマ」と題する写真展を開催する運びとなりましたので、ご案内させていただきます。これは同名の写真集とおなじく、私が暮らす大分県の国東半島で撮影された写真で構成されています。

日本人のなかには「自分は無宗教だ」という人が多いですが、私はそうじゃないと思います。本当のところは、逆に、信仰するもの、カミサマが多すぎて、そのことを日本人自身が認識していない点から、そのような勘違いが起きているのだと思います。私が国東半島で暮らし始めて強く実感したのは、神仏習合という文化を基盤とした「日本人の心の原郷」でした。

日本人とは何者なのだろう?

私が国東半島を舞台に追求してきた「日本人の心」。今回の写真展では、その答えに視覚的に迫ってみようと思います。

なお、写真展の詳細につきましては、企画・主催のエプソン(株)のホームページからご覧いただけます。

  http://www.epson.jp/epsite/

なお作者の船尾修は、以下の日時に在廊しております。ご都合がつきますようでしたら、この機会にぜひ会場まで足をお運び下さい。お待ちいたしております。

  4月15日(水)午後2時まで
  4月18日(土)終日 *ギャラリートークあり(13時、15時)
  4月19日(日)終日

 何卒よろしくお願い申し上げます。
                                  2009年4月吉日 船尾 修

■船尾修写真展「カミサマホトケサマ」

■2009年4月15日(水)~5月24日(日)
  10時30分~18時 会期中無休 入場無料

■エプソンイメージングギャラリー 【エプサイト】
   〒163-0401東京都新宿区西新宿2-1-1新宿三井ビル1F
   (JR新宿駅から徒歩5分)
  TEL:03-3345-9881 FAX:03-3345-9883

2009年3月25日 (水)

二つのお勧め展覧会。(By佐伯剛)

 二つの展覧会を紹介します

一つは、野町和嘉さんの『聖地巡礼』。3/28~5/17まで恵比寿の東京都写真美術館で開催されます。最新作のインドから、エチオピア、イスラム、アンデスなど、30年以上にわたって野町さんが撮り続けてきた人間と自然と圧倒的な映像美の世界です。

 昨年の10月、高知県立美術館で同じ展覧会を行い、その時、私(佐伯)と、野町さんが対談致しました。こちらが、その内容です。ご興味のある方は、ご覧下さい。

http://www.nomachi.com/wordpress/?p=88

 そして、もう一つの展覧会は、清里フォトミュージアムのヤングポートフォリオです。

 2/21~6/28まで、清里で開催されています。

http://www.kmopa.com/yp2008.htm

 場所が遠いのが難点ですが、個人的な感想で言うと、日本だけでなく世界中の若い人たちの写真動向を見るうえで、もっとも優れた内容だと私は思っています。

 季節がよくなれば、八ケ岳周辺の旅と一緒に行くのもよいかも。

 巨大メディアから送り届けられる標準的な情報や娯楽情報に慣らされてしまうと、知らず知らずモノゴトをアバウトに概念で処理する癖がついてしまいます。
 各種の表現活動もまた、そうした標準化に媚びるところがあり、「存在の不安」といった世の中に広く流通する概念をもじったものや、「海外での評価」とか、メディアのコントロール下にあるような「●●賞の受賞」等、お墨付きを求めるものも多いです。
 そういう傾向のなかで、虚心の目で世界そのものと出会う機会が減っています。
 ヤングポートフォリオ展で見られるような写真は、話題性を好むメディアとはあまり縁がなく、話題にもなりにくいのですが、こうした表現活動を行っている人が意外とたくさんいるということを知れば、けっこう勇気づけられます。
 書店に並ぶ写真集などは、近年、似たような傾向のものばかりで、表現の行き詰まりを感じてしまいますが、実際はそういうわけではなく、一般受けを重視する大手出版社やメディアが選ぶものが、結果的にそうなってしまうだけなのだと思います。
 「一般受け」というのは、「世の中の人は、だいたいこんな感じが好きだろうな」という視点ですから、とてもアバウトです。一人一人とジャストフィットするものではなく、言いかえれば、コンビニ商品のようなものです。便利だけど、ずっと手許に大切に置きたくなるようなものではない。自分にとって目が開かれるようなものでなく、既に頭のなかにイメージとして出来上がっていて、それをなぞるだけのものになる。結果として類型が多くなる。類型の積み重ねが世界のように示されると、何かとても息苦しいものを感じます。
 しかし、大手メディアというのは、そうした標準的な情報を人々が有り難がってくれるからこそ、存在意義があります。「一般受け」という価値観をみんなが望むかぎり、みんなが大手メディアの発する情報を見てくれるわけですから。「一般受け」なんかつまらない、いらない、と多くの人が思うようになった瞬間、大手メディアは崩壊するでしょう。
 それはともかく、私にとって有難い写真表現とは、そうした一般概念で失われていく個々のかけがえのなさに気づかせてくれ、世界と出会い直すことができるものです。
 ヤングポートフォリオの若い表現者たちの写真は、そういうものです。もはや、メディア基準の一般化情報で物事を知る時代ではなく、直接、表現と向き合いながら、自分の身一つで何かを感じ、記憶していく時代になっていくと私は思います。(そうなればいいなあと思います)

 

2009年2月15日 (日)

田口ランディ「パピヨン」動画での紹介

田口ランディの新著「パピヨン」の動画での紹介です。

http://www.youtube.com/watch?v=ekYmHRLYFWo


 私の感想です。

 田口ランディの新作『パピヨン』を読む。
 標高3500mの仏教聖地ラダックの書き出しから、死までの過程と死後のことを科学的医療世界から異端視されながら深く掘り下げていったエリザベス・キューブラー・ロスの言葉を軸に、そのロスの人生を取材するために訪れたポーランドから帰国してすぐに直面した実父の看取りのプロセスを織りまぜながら、文章が進んで行く。ここに書かれていることは、“事実”に即したことだから、内容としてはエッセイということになる。しかし、多くのエッセイが、自己意識を中心として世界を観察し、解釈し、自分の考察に必要な素材を自分の周辺に集めて行くという自己完結的な方法をとるが、この作者は、様々な社会的約束事に縛られている自己意識というフィルターを通して物事を見る事をどこかで拒み、それを相対化する視点を貫こうとしている。
 ほとんど祈りのような感覚として、自己意識を超えた意識というものがあると作者は直観している。科学的に分析できないけれど、それは間違いなく存在している。その存在を指し示さなければ、自己意識を中心にした壁を高く築き上げて、自分を守っているつもりで孤絶化してしまう思考の悪循環に陥り、死を間際にした他者をも同じような壁のなかに閉じ込めてしまう現代人の悲劇を断ち切ることはできない。現代人の寄る辺なさは、現代人が世界の中心においている「自己意識」の寄る辺なさであり、その「自己意識」を強化しても、自分の周辺の壁を高くするだけで、中身が確かなものになるわけではない。だからといって、立派な人の「宗教的訓話」は、科学的思考が染み付いた私たちを心底納得させてくれるものでもない。
 「自己意識を超えたところに、私たちが還って行くところがある。」もしくは、「自己の深いところに高次の宇宙意思がある。そこに行けば様々な呪縛から解放される。」そういうことを、言葉にするだけなら誰でもできる。
 そもそも、「自己意識を超えたところ」を、言葉でどのように指し示すことができるのか。自分の言葉を、自己意識と切り離す芸当を、どのようにできるのか。絵や音楽の演出効果によって、「潜在意識」とか、「宇宙精神」などとタイトルをつけて、それらしき雰囲気のものをつくりだすことはできるだろう。しかし、私たちがふだん使っている「言葉」の使い方を外れることなく、自己意識を超えた世界を、どのように浮かび上がらせることができるのか。それができなければ、自己を偽りやすい人を丸め込めても、自己に正直な人を説得できない。
 「パピヨン」という作品は、一部の引用を除いて、基本的に私たちがふだん使う言葉によって、自己意識を超えたところに意識を運ぶ困難極まる仕事に挑戦していると思う。大上段から発せられる宗教の言葉ではなく、日常の事実の正確な積み重ねを通して、私たちの自己意識を超えたところに向かって行こうとしている。作者がそのような情動を持つ理由は、現在の自分に退屈しているからではない。
 実父ではあるけれど幼少からの記憶によって憎しみや嫌悪が勝り、彼を受容しがたい意識と、憎むべき実父を受容することなく自分の存在を受容できないと知っている潜在意識との間が引き裂かれており、自己意識を超えたところにあるものを意識自体が納得して受け入れること以外に、その引き裂かれが修復できないからだと思う。
 社会的体面としては受け入れている風を装える大人ではあるけれど、自己意識は、それが欺瞞であることも知っている。だから苦しい。自己意識は大変手強く、簡単に手なずけることなどできやしない。心の底から実父という他者を受容できないかぎり、自分すら救えないのだ。
 事実の正確な描写を心がけながら、通常の自己意識を超えたところに出て行くことは、通常の状態では、とても困難だ。ある種、異常な状態が必要になる。しかし、その異常が、事実としてあり得そうもないものになってしまうと、そこに表現されていることのリアリティは急速に失われる。
 この作者にとって“幸運”だったことは、事実として充分にあり得る“異常”が、周辺に起こった事だ。ラダックにおける高山病は、誰にでも起こりうることであり、そうした状態の時、人間は、通常の意識とは違う世界が見える。自分が拠り所にしている意識が、宇宙の尺度ではないと体験として知らされる。
 さらに、実父が癌になり、死までのプロセスを踏み始め、その父にほとんど一体化するほどコミットして、ともに歩む。このコミットは、肉親に対する情愛などという世間的な良識を超えて、通常意識を超える手がかりを得るために藁にもすがりつく作家の執念のようなものすら感じさせる。エリザベス・キューブラー・ロスは、自らの研究のため末期患者を求めて走り回り、「死にたかるハゲタカ」と非難されたが、田口ランディは、末期癌を宣告された憎むべき実父との付き合いという、これ以上は考えられない濃縮な時間を通して、ロスと同じことをやり遂げようとしたのだ。結果として、その父は、自分の死を通じて、娘をもう一度生んだに等しく、その瞬間、それまでの二人の複雑で歪な人生模様のパズルの凹凸が、きれいにはまって完成することになった。
 そのパズルの絵柄は、田口ランディと父が新たにつくったのではなく、最初から存在していたものだ。
 それが、何らかの事情で分かれ、歪な形の断片としてこの世に出現していたにすぎない。しかし、それは時を経て同じ場所に還って行き、最初のように一つになる。
 自己意識というものは、アダムとイブの林檎のように、無分別の一つのものを歪に分割する働きをするものかもしれない。でもそれもまた、最後には必ず元通りになる複雑なプロセスにすぎない。一つのままだと何もわからないが、分かれて再び一つになるからこそ、全容がわかる。とすれば、苦しい自己意識も、神の恩寵だろう。
 真の意味で他者を理解するということは、共感とか同意など、ともすれば自己を防衛強化する類のものではなく、自分と他者という歪な断片が、かつて分かれ、そして一つに還って行くところと、そのプロセスを知ることなのだろう。
 『パピヨン』という作品は、実父の死という現世での分かれが、それこそ、宇宙レベルにおいて合一になる体験を、エリザベス・キューブラー・ロスに導かれて生み出された作品であるが、通常には起こりにくい様々なシンクロニシティが、たびたび事実として起こっている。
 凹凸のパズルが散らかり放題の時は、なかなかそうしたシンクロが起こらないが、パズルの絵模様が微かに見え始めてくる時には、運命的な出会いを呼び込む力が自分に備わる。そういう時の自分は、ひらひらと舞い飛ぶ蝶の行き先を追う時のように、集中力もあって覚醒しているけれど、どこか朧げな状態になっている。自己意識は希薄だけれど、麻痺しているわけではなく、少し高揚し、活性化しているのだ。
 自分の意識が変容する時、または、何かが創造される瞬間というのは、きっと、そういうものなのだろうと思う。

2009年2月 4日 (水)

ユーラシア旅行社主催 酒井健先生『旅の集い』のお知らせ

『風の旅人』創刊の頃よりご執筆していただいております酒井健先生をお招きして、
“西洋近代美術紀行〜セザンヌからピカソへ〜”と題した『旅の集い』を 開催いたします。
酒井先生のお話を直に聴ける場は、なかなかありませんので、ご興味のある方はこの機会にぜひご参加ください。

□日時 2月15日(日)開場13時より
□場所 東京都千代田区平河町にある砂防会館別館1階にて

くわしいご案内と開催場所の地図は下記のアドレスをご覧ください。
ご参加のお申し込みも、下記のアドレスより承っております。

ユーラシア旅行社 旅の集い
http://www.eurasia.co.jp/lecture/index.html

当日は『風の旅人』の特別販売もございます。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。

ユーラシア旅行社『風の旅人』 春山慶彦

2008年12月 3日 (水)

犬式

11/14から「風の旅人」オンラインショップで、犬式というバンドのCDを売り始めました。すでにご覧になって、ご存知の方もいるかもしれません。買っていただいた方、ありがとうございます。「風の旅人」と呼応するところがあって、初の試みではありますが、CDと「風の旅人」をそれぞれのネットショップで交換して販売しています。

「風の旅人」の読者には、音楽好きな方が多く、それはきっとこの雑誌が頭でどうこう考えるとか以前に、無意識にどかんと響くものが大きいからだと思います。音楽も、空気を震わすその振動やリズムが、体を突き抜けて直に内側に入ることがあります。きっとその感覚が共通するので、音楽が好きな方にはジャンルを超えて深く共振していただけるのかなと、自分も然り、感じます。

犬式という少し風変わりな名前のバンドを知ったのは、my spaceというコミュニティサイトがきっかけです。(my spaceは、アメリカで設立された、登録ユーザー2億人とも言われる超巨大SNSで、世界中に参加者がいます。動画や音楽も配信され、多くのミュージシャンのプロモーションの場にもなっています)

たまたま見ていたなかに、彼らの名前があり、風変わりな名前と、自分が犬好きなこともあって彼らのページを訪れました。私が幼い頃から親しんできた吉祥寺を拠点に活動しているというところにも興味をひかれて、彼らの音楽を聴いてみましたが、正直初めは聴きづらく、主張ばかりが目だって自分にはぴんと来ませんでした。でも、なぜか音楽が心に残って、後日また聴いてみても、まだ引っかかるので、このバンドの主柱となっているボーカルの三宅洋平氏のブログを見てみました。

彼のブログは音楽だけにとどまらず、日本や今の世界、衣食住から自分の子どものことまで、彼ならではの感性で丁寧に記されていて、ときどきハッとすることも書かれています。個人的ですが、父として書かれたお子さんの話が好きです。三宅氏のブログを読んでいるうちに、どこか「風の旅人」と相通じるところを感じて、再び音楽を聴いたときにはぴたりと共振してしまい、一ファンとして見本誌を送ったのがつながりのきっかけです。

ある日マネージャーさんが編集部に来て、編集長と2時間近く話をする中で、ジャンルを超えて深く通じるところを感じ、相互に販売を始めることになりました。音楽と雑誌、しかも音楽雑誌ではないけれど、お互いに相通じるところが大きいということは、お互いのファンがお互いの潜在的なファンである可能性も大きいです。多くの人は、自分の世界を押し広げたいという潜在的な欲求を抱えていると思うのですが、情報が氾濫するこの時代で、煩雑な出会いの場は多くても、結びつく力が弱まって、自分に引き寄せる前にかき消されてしまうこともあったりします。今回の初めての試みのように、どちらの入り口であっても、その先にまた枝葉のように広がっていけるような強い結びつきがあれば、そのひとつひとつは微力であっても、やがて強い結びつきから新しい揺らぎが生まれ、ある一点を超えたとき波が起こるかもしれません。彼らとのきっかけにもなった「風の旅人」34号“時と揺”をふと思い返して、そんな風に思いました。少なくともそうなるような動きに高めていくべく、今後も彼らや、同じようにジャンルを超えてつながりを持てる方をご紹介していきたいと思います。(編集部スタッフ 菊池霞)

初めの一歩となった犬式の音楽を、一度ぜひ聴いてみてください。

■犬式ボーカル三宅洋平氏ブログ→http://blog.goo.ne.jp/nbsa-inushiki/

■犬式HP→http://www.inushiki.com/

2008年11月22日 (土)

写真集「カミサマホトケサマ」のご案内

大分県在住の写真家、船尾修です。「風の旅人」では21号でパキスタン大地震について、23号では国東半島について写真と文を掲載していただきました。このたび冬青社より、「カミサマホトケサマ」と題する写真集を上梓しましたので、皆様にご案内させていただきます。23号の国東半島の写真はすべて収録されています。

私は国東半島に色濃く残る[日本人の原像][日本の原郷]に強く惹かれ、撮影を通じてそれを表現してみたく、東京から当地に移り住んだのは8年前のことでした。「風の旅人」編集長の佐伯さんは私が撮った写真プリントを見て、すぐに作家の田口ランディさんを伴って遠路はるばる国東半島まで出向いてくださいました。奇祭ケベス祭りや、宇佐神宮の奥宮(御許山)などを案内しましたが、霊感の強い(?)おふたりは連日「すごい!」と興奮気味でしたので、私も案内する甲斐がありました。

あまり知られていませんが、国東半島にはかつて六郷満山文化という神仏習合の仏教文化が華ひらいた時期があります。約1300年も昔の話です。鉄道もなく道路も最近まで通っていなかった半島なので、現在は過疎と高齢化がすさまじいスピードで進行中ですが、しかし陸の孤島だったゆえに、今も国東半島のたたずまいはおそらく1300年前とそうちがわないのではないかと思えます。だからこそ奇跡的に昔から伝えられている祭りや民俗行事がそのまま残ることになったのでしょう。

日本は明治維新や廃仏毀釈などによって、さらには敗戦による米国の半植民地化によって、自分たちの遺伝子に刻まれている日本人としてのアイデンティティを意識的に否定・抑圧し、西洋の文化を積極的に移植してきました。しかしそういった西洋の考え方、たとえば自然と人間を分離して考えたり、一神教的な世界観などは、現代の価値観にそぐわなくなってきています。日本人が古来から持っている精神のベースには、多様性を認め、人間を越える大きな存在に対しては「祈る」という行為によって物事の解決を目指す、そういうものが含まれていたと思います。写真集のタイトル「カミサマホトケサマ」は、日本人のアイデンティティをその点に発見した私なりの意図が表現されています。ぜひこの機会にお手にとってご覧下さい。

【発行】:冬青社 A5変型版 上製 184ページ オールカラー 定価2,200円+税

2008年11月 2日 (日)

写真集のお知らせ

 31号で「島の時間」を掲載していただいた写真家の山下恒夫です。このたび写真集「もうひとつの島の時間」(冬青社刊)を出版しましたので告知させていただきます。沖縄の島々に流れる現代の時間と古来から流れ続ける琉球の時間。二つの時間軸が交差する16の島の風景と出会った人々。25年前の写真学生時代と今年の夏撮影した写真を並べる作業のなかで私は沖縄に写真を学んだことに気づきました。

2008年10月23日 (木)

野町和嘉 聖地巡礼と、対談

 写真家 野町和嘉さんの大写真展が、高知県立美術館で始まります。

http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~museum/nomachi/kazuyosi_noachi.html

 期日:10/25~12/14

 10/26(日)の14:00~ 野町さんと佐伯(風の旅人 編集長)の対談を行います。

 今回の展覧会では、サハラ、ナイル、エチオピア、アンデス、メッカ、イラン、そして最新シリーズであるインド・ガンジスなど、野町さんの35年に及ぶ世界各地の写真を見ることができます。

 荒涼たる大自然の荘厳なまでの美しさと、イスラム教から始まって、キリスト教、仏教、ヒンドゥ教と、祈りをテーマに、人間の哀しみと、おかしみに深く迫る野町さんの写真の魅力が堪能できます。

 この展覧会は、来年4月には、東京でも見られるそうです。

2008年10月 7日 (火)

進藤万里子さんの展覧会

風の旅人 第32号 「時と廻」で紹介した写真家、進藤万里子さんの展覧会が行われます。
場所/京橋にあるツァイト・フォト・サロン。
日時/10月5日~10月25日(日曜と月曜、祝日休み)。
時間/平日は10時半から18時半、土曜日は10時半から17時半まで。
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  彼女の写真は、言葉(左脳)では、とても説明しにくいです。
 しかし、間違いなく、左脳でないどこかに働きかけてくるものがあります。
 とりわけ都会に暮らしている人は、そう感じるのではないでしょうか。
 都会のなかにいて、毎日、職場までの同じ道のりを歩きながら、私たちは、風景を見ているようで、実際は見ていません。
 空の変化を目で追って、明日の天気を読むこともないですし、森の彩りを見て、冬の支度を考えることもありません。
 通勤途中、道を曲がる時も、いちいち頭のなかで指令を出したりしない。携帯をかけながらでも、よほどのことがないかぎり間違いなく目的地に着けます。また、どんなに酔っぱらって記憶がなくなっても、家に帰れます。
 目ではいちいち確認していないのに、”わかる”というのは、考えてみれば、とても不思議です。
 脳が身体を支配し、指令を出しているのだと、私たちは脳によって思わされていますが、実際は、そうではないかもしれません。脳を持たない無脊椎動物が世界を感知するように、私たちも、きっと皮膚で世界を感知しているのでしょう。
 脳ではなく、皮膚じたいでわかっていることがある。
 進藤さんの写真を見た時、(脳で)理由がわからないのに、少し鳥肌が立ったことがあります。
 脳よりも先に、皮膚が、かってに写真と対話したのでしょう。
 敢えて説明するとすれば、そんな写真です。  (佐伯)