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2008年2月26日 (火)

第6回 私にとって優れた写真家とは!?

 私が優れた写真家だなあと思う人は、他の優れた写真家の写真をよく見ている。
”自己表現”だけを目的に写真を撮っている人の多くは、他人の写真にはあまり興味がないようだが、優れた写真家は、他の写真家の写真をよく研究している。他の人が達成している仕事を敢えて自分が行う必要はないと思っているし、他の優れた作品を見ることで、眼力がついて、他の人が見過ごすようなことが見えるのかもしれない。
 また、彼らは道具の癖を知り尽くしている。カメラのことは当然のこと、フィルムの癖なども知り尽くし、光の状態によって、どのフィルムをどのように使うべきか、瞬間に嗅ぎ分けている。また、道具の一つとしての自分の身体も大事にしている。たとえば足場の悪いところでスローシャッターで撮ってもブレないだけの筋力がある。筋肉質ではなく細身であっても、骨の周りや腹にしっかりと筋肉がついているなあと感じる人が多い。さらに水中写真の中村征夫さんなど、普通の人だったら10分も潜っていられない低温の海でも、被写体を探し、見つけ、時間をかけてじっくりと撮影できる身体に進化している。そこまでいく人は稀だが、基本的に、いざという時に優れた反応力を発揮するためには、日頃から身体のリズムを整えておくことは当然なのだろう。テンションを短時間で最高点まであげることができる自分なりの身体的流儀を身につけているといった方がいいのかもしれない。
 次に、撮影すべき相手を、よく見ている。しっかりと研究もし、知り尽くそうとしている。何をどのように撮るべきかの情報収集に対する集中力もすごい。相手を知らずに、相手と向き合えないということを、よく理解している。といって、知識で撮るのではなく、知り尽くしたうえで、その知識にとらわれない境地に自分を置いている。
 上に述べた事柄は、大工や演奏家や料理人など道具を使ってモノゴトを表現する人たちにとっては、”表現以前”の段階で当たり前のことだ。しかし、写真の場合、誰でもシャッターを切れば何かが写るから、こうした基本的なことを怠って、“感性”という言葉でカムフラージュした意味ありげな写真をアートなどと言うことができてしまう。
 楽器とかその他の物づくりだと、基本的な修養がなければ、いくら感性とかアートなどと口走っても粗が目に付くのだが、写真の場合、“目の付け所”で表現が成り立つのではないかと思われている節がある。
 そしてここからが大事なのだが、写真にかぎらず、優れた作品というのは、その作品を見るだけで、まだ出会ったことのない作者に対して深い信頼を感じさせる力が満ちている。
 表現者に対する深い信頼とは、善良であるとか、優しいとか、高い地位にあるなど、社会的な尺度での評判の良さではなく、一個の人間として、全身全霊で世界に向き合っているということが実感として伝わってくることだ。
 世界を自分の都合の良いように解釈して終わりなのではなく、一人の人間が対峙するには途方もなく深遠な世界の前で表現の不可能性に絶望的な気持になりながら、そのジレンマの中で喘ぎ、細心の注意で世界と向き合い、そこから奇跡的な何かを引き出そうと懸命になっており、そのテンションを維持し継続するのは簡単ではない時代のなかで、それができている。そうした”本気”の継続こそが、表現の固有性であり、作品からその気配を濃厚に感じる時、その表現者に対しても深い信頼を感じる。
 建築や音楽など完成された分野において、その場凌ぎのものゴマカシは、すぐにわかってしまう。(とはいえ、マンションのモデルルームなどで、実際より小さな家具を置いて部屋を大きく見せるような仕掛けに簡単に騙されてしまうご時世ではあるが)。
  写真もまた同様で、一流のものをたくさん見ていると、そうでないもののゴマカシが透けて見える。ゴマカシに欺かれてしまうのは、ゴマカシのない一流のものと触れる機会があまりない為だろう。
 骨董でも絵でも、「本物と偽物を見分ける目を持つためには本物も偽物もたくさん見て、その違いを知らなければならない」というのは嘘で、真偽の見分けはそのように分別ではなく直観で行うものであり、本物を一瞬に見抜く直観は、”本物”だけを数多く見ることで養われると聞いたことがある。
 それはともかく、本当に優れた写真家は、世の中に合わせて仕事をしようとしていない。世の中の現象や時流といった移ろうものに自分を迎合させたり、へりくだるのではなく、もっと大きくて深く普遍的なものに自分の作品を捧げるようなスタンスで仕事をしている。
 だからそうした作品と出会う時は、”綺麗ねえ”とか”フィーリングが合うねえ”などと調子を合わせることはできない。ただもう、ガツンとやられてしまうだけだ。

コメント

>本物を一瞬に見抜く直観は、”本物”だけを数多く見ることで養われると聞いたことがある。

似た様な話が有ります。

基準になるもの http://plaza.harmonix.ne.jp/~k-miwa/magic/best/base.html
昔の両替商では、丁稚として見習いの子供が入ってくると、店の主人が、その子に本物の金貨を1枚渡すそうです。子供はそれを懐に入れておき、暇なときはいつも懐に手を入れて、金貨を触ります。数年間は金貨以外のお金を触ることはなく、金貨にしか触れません。すると指先が本物の金貨の感触を覚えてしまい、混ざりものがしてあるにせ金貨に触ると、すぐに違いがわかるのだそうです。こうなってはじめて、その他色々なお金に触れることを許されるそうです。最初から色々なものに触れてしまうと、本物と偽物の微妙な違いがわからないのだそうです。

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